2020年オープン 豊島区の都市型公園「イケ・サンパーク」の場所にはかつて造幣局があった!

現在大きな注目を集めている東池袋の都市型公園「イケ・サンパーク」。公園ができる前、この場所には造幣局がありました。その歴史について、フリーライターの小西マリアさんが解説します。


豊島区の度重なる陳情

 造幣局に移転してもらい、跡地に防災公園を建設するという案を豊島区が最初に出したのは1972(昭和47)年の区再開発基本計画でした。それ以降、1982年の区基本計画でも移転と防災公園の建設は明記され、区をあげて大蔵大臣(当時)への陳情が行われました。

 この陳情に対して、大蔵省(現・財務省)は1989(平成元)年、代替地を示すことを要求。そこで豊島区では、東京都が開発を進めていた臨海副都心に移転用地の確保を求めます。しかし東京都は計画が既に決まっているとして難色を示し、移転は実現しませんでした。

1990年頃の造幣局東京支局(画像:国土地理院)




 移転を求める声が豊島区で再び高まったのは、2004年のことです。この頃進んでいたのが、地上デジタル放送の開始を見越した「新東京タワー」の」建設計画です。この計画のなかで、豊島区は造幣局の敷地を利用する誘致案を打ち出します。もちろん、造幣局の移転が前提です。

 豊島区がこのときに打ち出した計画は、39階建てのビルを建設してその上にアンテナを設けるというもの。地上からアンテナの先端までの距離は約600mです。区では当時、展望料収入だけで毎年110億円という試算を行っています。

 当時、高野之夫区長は実現に向けて

「都内の再開発が汐留、お台場、六本木などに集中しており、城北地域は取り残されているとの感は否めない。ぜひ誘致したい」

と語っています。

頓挫した新東京タワー案

 2000年代前半の池袋は既に新宿・渋谷と並ぶ副都心でしたが、イメージ的には「昭和っぽい」感じでした(もちろんそれが魅力でした)。そうしたなかでのタワー誘致は、にぎわいから外れた東池袋周辺を激変させる要素と考えられたのでしょう(『朝日新聞』2004年9月22日付朝刊)。

 しかし、新東京タワーは現在の東京スカイツリー(墨田区押上)として建設されることになり、夢ははかなくも破れました。

墨田区押上にある東京スカイツリー(画像:国土地理院)

 その後も豊島区では2007年、池袋駅周辺に次世代型路面電車(LRT)を建設し、造幣局周辺に大規模な駐車施設をつくって「パーク・アンド・ライド」(最寄りの駅などの手前まで自家用車で行って駐車し、そこから鉄道やバスに乗り継ぐ移動方式)を実現させる案を打ち出したり、造幣局跡地の活用案を何度も打ち出したりしました。

造幣局移転の契機となった東日本大震災


【画像】豊島区の都市型公園「イケ・サンパーク」

画像ギャラリー

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