昭和の戦前、なんと中央線に沿って「乗馬道」があった! いったいなぜなのか
2021年8月31日
知る!TOKYOかつて、中央線の代々木~千駄ヶ谷間の鉄道線路に沿って乗馬道があったのをご存じでしょうか。その理由について、地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。
連絡道路の総延長は約1200m、幅は約36m
神宮外苑は、宗教施設ではなく公園として計画され、神宮外苑競技場(現・国立競技場の地)、神宮球場、聖徳記念絵画館などが1924(大正13)年から1926(昭和元)年にかけて建設されました。
この明治神宮内苑と外苑とをつなぐのが前述の連絡道路です。乗馬道がない部分も含めた総延長は約1200m、幅は約36mに及び、その幅の中に乗馬道のほか車道、遊歩道、歩道、植樹帯が並行してつくられていました。

当初の計画では、この連絡道路に乗馬道はなかったのですが、閑院宮は次のように主張しました。
「明治天皇は馬術に対するご趣味が深く、馬の品種改良にも熱意を注がれた。古来、多くの神社では馬場が設置されている。現代に合わせた乗馬道を明治神宮の施設に設置するのは、明治天皇を追慕するのにふさわしい」
この乗馬道がどれだけ利用されたかは不明ですが、竣工(しゅんこう)式の日、閑院宮は馬上の人となり、武官ほか騎馬参列員を従えて乗馬道を往復しています。
乗馬道をしのばせる山手線裏参道ガード
乗馬道を含んだ連絡道路の地は、現在首都高速道路となっています。前回1964年の東京オリンピック開幕にあわせて同年8月に開通した区間です。
そのため乗馬道の痕跡は消滅しているのですが、1か所それをしのばせてくれるものが現存します。首都高速道路が山手線をまたぐ地点のすぐ近くにある山手線裏参道ガード(代々木~原宿間)です。

このガードは、他の山手線ガードに比べて、立派なつくりになっているのが特徴的です。重厚なれんが積み(に見える)で、ガードの両端には、背の低い親柱のようなものも建てられています。
山手線電車の走る複線部分と埼京線電車などが走る複線部分(かつての貨物線)のガードがほぼ同じつくりなのも気になります。
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