下級武士から東京トップに上り詰めた男「後藤新平」 関東大震災から東京を復興させた誇り高き精神とは
2021年8月30日
知る!TOKYO1923年に発生した関東大震災で壊滅した東京。その復興に力を入れた人物、後藤新平をご存じでしょうか。『後藤新平 大震災と帝都復興』(越澤明、筑摩書房)について、ブログ「山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期」管理人の山下ゆ さんが紹介します。
台湾統治で手腕を発揮
1898(明治31)年、児玉は台湾総督となります。それまで樺山資紀(すけのり)、桂太郎、乃木希典(まれすけ)という歴代総督が手こずっていた台湾統治ですが、児玉は後藤に民政局長という内政のトップを任せます。
後藤は台湾で問題になっていたアヘンについて、強引に禁止するのではなく、専売にして徐々に禁止していく政策を打ち出しました。また、台湾の衛生状態を改善し、社会資本の整備を進めていきます。
加えて、本書が注目しているのは台北の都市計画です。台北を訪ねると、広い道路や統一的なファサードに感心しますが、これは後藤が城壁を撤去して大通りを整備するとともに、中心部の建築物に強い規制をかけた為です。
日露戦争後、児玉は後藤に南満州鉄道株式会社(満鉄)の総裁のポストを託します。後藤は多くの人材を抜てきして満鉄の経営にあたるとともに、ロシアと協調して満鉄を国際鉄道にし、その価値を引き上げようとしました。
また、満鉄はその付属地の都市経営も行いました。大連や長春の都市づくりにおいて、後藤は大胆な計画と実行力でスケールの大きな市街をつくっていったのです。
こうして植民地で都市づくりを経験した後藤は、日本の都市改造にも関心を持ち、情熱をささげるようになります。

寺内正毅内閣で内務大臣となった後藤は都市計画法の制定へと動き、1920(大正9)年には内務大臣よりは格下の東京市長になり、東京の都市改造を試みます。
1921年に発表された東京市政要綱では、東京の都市インフラの整備に7億5750万円が必要だという「八億円計画」と呼ばれるものを打ち出しました。これは東京市の年間予算が1億数千万円、国家予算が約15億円という中で打ち出された数字であり、当然ながらそのまま実現することはありませんでした。
それでも後藤は東京の道路の舗装を進め、また東京市政調査会を設けて、アメリカからのちにアメリカ政治学会会長、アメリカ歴史学会会長を歴任するチャールズ・ビアードを招聘(しょうへい)してアドバイスを受けるなど、東京の改造に情熱を燃やします。
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