漫画『こち亀』でお馴染み? 中央区「勝鬨橋」はかつて開閉する橋だった
2021年8月28日
知る!TOKYO漫画『こち亀』で一躍知られることとなった勝鬨橋の開閉。その歴史について、フリーライターの出島造さんが解説します。
橋の開閉は当初1日5回、その後3回に
日中戦争が激化したため、博覧会自体は1938(昭和13)年に中止が決まりますが、橋の建設は続行され、1940年6月14日にいよいよ開通式を迎えます。最初に渡ったのは、月島通に住んでいた古賀さん夫妻とその長男夫妻と孫夫妻……と、当時の新聞記事には記されていますが、どういう都合で選ばれたかはわかりません。
また最初に開いた橋をくぐったのは、晴海の陸軍病院に入院していた患者を乗せた船でした。橋の開閉は当初1日5回、戦後になると1日3回となります。このほか、さまざまな事情で、決められた時間外にも開いていたようです。

また、当初より予定されていた橋の上を走って月島へ向かう都電は、1947年12月24日朝に開通。渡り初めでは、車両に乗った区会議員や街の有力者が窓から首を出し、日の丸の小旗を振って万歳を唱え、待ち構える月島の人も万歳を叫んでいたといいます。
勝鬨橋の資料を読んでいて気になったのが、当時は観光地としてにぎわっていたことです。勝鬨橋の開閉部分は長さ50m。それが斜度70度くらいまで持ち上がって開くのですから、かなり迫力のある光景だったのでしょう。
取材当時まだ存命だった勝鬨橋の跳開作業を担当していた人物(担当部署は東京都の建設局)に取材した泉麻人さんのルポ「勝鬨橋を開けていた男」(『新潮45』2000年4月号)には、こう記されています。
「はとバスのコース、なんかにもなっていたくらいで。開く時間に合わせて団体客がやってくるんですよ」
はとバスまで立ち寄るとは、なかなかのメジャーな観光地。いったい、当時はどんなにぎわいだったのでしょう。顔見知りの司書(図書館にいる専門職員)が「子どもの頃に開いているのを見にいったなあ」というので、話を聞くことにしました。
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