江戸三大祭でおなじみ! 江東区「富岡八幡宮」が深川の総鎮守になったワケ

下町として広く知られる江東区「深川」。この地名の由来はいったい何でしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。


名字ではなく、土地の名前から?

 さて、この深川八郎右衛門が伊勢神宮の神様を祭ったことがルーツとされるのが、現在の深川神明宮(江東区森下)です。深川発祥の地を称するこの神社では、深川の由来について、

「「まだ住む人も少なく地名もない」と応えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じました」

と、後者の説を採用しています。

江東区森下にある深川神明宮(画像:(C)Google)




 この深川神明宮の別当寺(神社に付属して置かれた寺院)で、八郎右衛門を開基とするのが国府台にある泉養寺(千葉県市川市)です。明治時代以前、日本では神仏習合が当たり前であり、神社の支配は寺が持ち、運営されていました。

 この泉養寺が1859(安政6)年に寺社奉行に差し出した由緒書によると、

「当所には地名はないが、小社があり、八郎右衛門がここを開発して慶長元(1596)年に深川という地名が出来、苗字を深川ととなえ、別当泉養寺は八郎右衛門が開基であり、弟が初代住職となり秀順と名乗った」

とあります。

 これによれば、最初に八郎右衛門がこの土地を開発して、その後に深川という地名ができ、それを八郎右衛門が名字にしたことがうかがえます。

 すなわち前述の「深川 = 名字由来」は正しくなく、深川を開発した人物が、開発した土地の地名を名字にしたというのが正しいでしょう。ただ、実際に家康から名字を拝領したかどうかは判然としません。

そもそも深川八郎右衛門とは何者か

 ここで、深川八郎右衛門について説明します。

 この人物が前述のように摂津国(現在の大阪府)の生まれだったことは確かなようで、家康が江戸の街を開く際に西から移住してきた有力者だったことがうかがえます。

千葉県市川市にある泉養寺(画像:(C)Google)

 八郎右衛門は1661(万治4)年に死去しますが、すでに27か町の名主になっていました。

 その後、深川家は代々名主を務めますが、第7代の時に不正の罪をかぶり断絶するに至りました。

 開基である深川家の歴史はここで終わりますが、今でも泉養寺には墓があります。

富岡八幡宮の台頭


【画像】深川発祥の地を称する「深川神明宮」

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