東京の街から屋台が消えた理由――バブル期の「屋台村」誕生とともに振り返る

バブル絶頂期、都内では屋台が集まった「屋台村」がはやりました。その歴史について、フリーライターの大居候さんが解説します。


バブル景気崩壊にマッチした屋台村

 この屋台村ですが、世田谷区喜多見に1990(平成2)年4月にできたのが初の事例です。屋台村を始めたのは、都内で移動屋台を展開していた一龍グループの三浦愛三社長。『日食外食レストラン新聞』1993年10月18日付の記事によれば、取材時点で屋台村は神奈川県海老名市、茨城県つくば市にもオープンしており、さらにフランチャイズ店もありました。

世田谷区喜多見(画像:(C)Google)

 1号店の世田谷店は店舗面積76坪、客席数は120席。テントハウスの炭焼店だった建物をリニューアルし、客席を囲むように六つの屋台が配置されていました。

 屋台村のできた1990年といえば、バブル景気の真っ最中。高級品が飛ぶように売れた時代に、安価な屋台は一見そぐわない気がしますが、屋台村の登場とバブル景気は密接な関連性がありました。

 もともとこのビジネスを始めた一龍グループは都内で多くの屋台を流していましたが、バブル景気になると次第に取り締まりが強化され、路上から閉め出されていくようになります。これに対して「働く場所を確保しようと、屋台を1か所に集めて屋台村にした」のが屋台村だったわけです(『毎日新聞』1992年10月13日付夕刊)。

 さて、この新スタイルの業態はバブル景気の崩壊とともに、各地で模倣されるようになります。

 バブル景気の頃、都内の繁華街では盛んに地上げが行われました。ところがその崩壊によって、まとまった土地が空き地のまま放置されている状況があちこちで発生。そうしたなか、安普請のほうが店の雰囲気を出せる屋台村は最適な業態だったのです。

 景気低迷で小遣いが減ったため、さまざまな料理を安く楽しめる屋台村は消費者にとっても魅力的でした。価値が高価なものから安価なものへと移り変わる時代において、屋台村の人気は拡大していきました。

歌舞伎町と池袋、六本木にも出現


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