現代人もビックリ? 葛飾北斎が人生で「93回」も引っ越ししていたワケ
2021年8月21日
ライフ90年の人生でなんと93回も引っ越しした葛飾北斎。現代人にも通じる、その理由をご存じですか?
絵師としての実力をつけるまで
1778(安永7)年には浮世絵師としての活動を開始した北斎。浮世絵師として活動を始めるきっかけとなったのが、当時役者似顔絵で一世を風靡(ふうび)した浮世絵師・勝川春朗に入門したことです。
師の名前である「勝川春朗」という雅号(本名以外の風流な別名)で画界に登場したのが、北斎の絵師としての始まりとなっています。
北斎はその後、なんと30回も雅号を変えています。現在最も有名な「葛飾北斎」という名も、実はごく一部の期間でしか使用されていません。その理由は明確ではありませんが、心境の変化や新しい画法と出会うたびに、雅号を変えていたとされています。

その後北斎は1794(寛政6)年まで師のもと、作品づくりに励みました。入門してから5年間は、北斎の絵師としての経歴を五つに分けたうちの“第1期”と呼ばれています
最初は至って無個性で、一門の様式を逸脱しないようにしていた様子がうかがえる画風だった北斎。2~3年たつと、後年に見られる発想と共通したものを見いだせ、北斎が自身の色を見つけたことが分かります。
北斎の色がはっきりと見え出したのは、1787(天明7)年から1792年の“第3期”。作品量が急激に増え、あらゆる題材や分野にチャレンジした北斎。この頃に自身を十分に研さんしたことが、後の北斎の力になっているようです。
修行を積んで10年ほどたったある日、北斎は他の流派に学びに出掛けたことが、師匠にバレてしまい破門に。その後独立し、自身の絵柄を確立していきます。
生涯で93回も引っ越した北斎
絵師としては順調に実績を積んでいきましたが、当時から理解できない行動だと言われていたのは北斎の引っ越し癖。
住所不定とも言われており、引っ越しした回数はなんと、生涯で93回に及んだというから驚きです。
伝わるところでは75歳までに56回(約1.3年ごとに1回のペース)、85歳から90歳までは33回(約2か月に1回のペース)引っ越しをしています。

詳しい記録がほとんど残っていないため、いつ頃どこに住んでいたのかは確かではありませんが、それでも手紙などのごくわずかな手がかりから、現在の墨田区や台東区など、合わせて約30か所の土地に訪れていたのでは、と言われています。
絵を描くことだけに没頭していた北斎は、当然自炊などもせず、総菜やまんじゅうを買い込んではその辺りに捨て置いていたようです。そのため、臭いなどがしてきて我慢できなくなると、その都度引っ越ししていたのだとか。
そのため「どこか新しい土地を見たい、知りたい」というわけでもなく、ただ近隣を転々としていた北斎。
天才であり奇人、と言われていただけあって、その行動は常人には理解できないところも多かったようですね。
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