都営バスの最長路線 「梅70」系統で巡る青梅街道の歴史と武蔵野風情が残る風景の数々
2021年8月21日
知る!TOKYO都営バスで最長の営業距離をもつ「梅70」系統。車窓から見える風景の魅力と深い歴史について、文筆家の広岡祐さんが解説します。
旧街道の面影 ~小平市から東大和市~
小平市内には西武鉄道の踏切が3か所あり、交通渋滞の原因になっています。バスはアイドリングストップをくり返しながら、ゆっくり進んでいきます。
青梅街道の歴史は、江戸初期の1606(慶長11)年にさかのぼります。新宿追分(現・新宿3丁目伊勢丹付近)で甲州街道と分かれるこの道筋は、江戸城改修に必要な石灰を青梅周辺から輸送するルートとして整備されたものです。青梅から先は大菩薩峠を越えて塩山・甲府方面と連絡し、甲州街道の裏街道として利用されました。
小平市から東大和市にかけては、青梅街道沿いにそびえる樹木が印象的です。武蔵野の風情が色濃く残る地域で、街道筋の農家の門前に設けられた無人の野菜売り場が目を引きます。30年ほど前までは、左右に連なる農家の屋敷森の木々が、街道を覆うように生い茂る光景を見ることができました。
府中街道との交差点を過ぎた右手には、かつて小平小川郵便局がありました。昭和の終わり頃まで1908(明治41)年築の木造局舎が残っていて、地域のシンボルになっていました。

青梅街道の変遷を見守ってきたこの建物は、市の文化財として民家園・小平ふるさと村(小平市天神町)に移築保存されています。開局当初、この郵便局の管轄地域は周辺19か村。梅70系統のルートである奈良橋・芋窪(東大和市)や中藤(武蔵村山市)までおよんだというから驚かされます。
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