2020年に復元された「旧国立駅舎」 しかし肝心の設計者が誰だかわからなかった!

2020年4月に復元された旧国立駅舎。そんな駅舎ですが、実は肝心の設計者がわかっていません。いったいなぜでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。


関連書籍を調べてみた

 この不思議な状況はやはり気になるのか、既に調べている人がいました。

 長内敏之氏の『「くにたち大学町」の誕生 ―後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから―』(けやき出版 2012年)には、その熱心な調査の結果が記されています。

 同書によれば、長内氏は調査の過程で河野傳の孫に直接会い、建設中の帝国ホテル新館などの写真を見せてもらい、河野傳がライトに師事していたことの確証を得ています。

『「くにたち大学町」の誕生 ―後藤新平・佐野善作・堤康次郎との関わりから―』(画像:けやき出版)




 しかし、ここでも河野傳が旧国立駅舎を設計したという明確な資料は発見されませんでした。

 資料を検討した上で長内氏は、『国立市史』の記述のもとになっている堀越氏の記述が単なる記憶違いか、もしくは河野傳の設計で始まったものの、なんらかの理由で箱根土地を退社して、ほかの人が担当したのではないかと推測しています。

花咲いた河野氏の野心

 ただ、退社の時期が明確でないためにこれもあくまで推測に過ぎません。

 長内氏は取材のなかで、堤康次郎をして河野傳が「生き馬の目を抜く男」と呼ばれていた記していますので、建築のほかにも野心があったのかもしれません。

 長内氏の記述によれば、河野傳は退社後に建築には戻らず、太平洋戦争後はドキュメンタリー映画を制作したり、会社を興して万能ハンドクリーナーの開発・製造を行ったりしたとあります。

現在の国立駅周辺の様子(画像:(C)Google)

 長内氏が河野傳の孫にあったのは2010年で、その前年までは息子が存命だったそうです。もう少し早ければさまざまな話を聞くことができたでしょう。

 旧国立駅舎の建設された大正時代はもはやはるかな昔となりました。今や第二次大戦の空襲体験者や、戦後の体験話すら聞くのが困難になりつつあります。高度成長期の始まる1960年代ですら、もはや60年も前です。

 長内氏の本を通じて筆者が感じたのは、近現代史の調査はとにかく早めにやるべきという戒めでした。


【画像】旧国立駅舎が作られる前の国立駅

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