バブル以降、ポップスの歌詞から「地名」が消えた理由――オメガトライブを通して考える

歌謡曲ではかつて多く地名の入った歌詞が歌われてきました。しかしバブルを経ると急激に減少。いったいなぜでしょうか。法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。


バブルが東京のイメージを変えた

 日本全体の土地の価格総額は1990(平成2)年末の時点で、1985(昭和57)年末の2.4倍となりました。バブルのピーク時、日本全体の地価の合計は、アメリカ全体の地価合計の4倍になりました。東京圏に限っていうと、驚くべきことに1987年と1988年の住宅地価格はそれぞれ22%、69%上昇し、商業地の価格はそれぞれ48%、61%上昇しました。

 地価の上昇は、地価の高い都心の一戸建て住宅や高級マンションだけでなく、都市近郊の一戸建て住宅を買うことさえも困難にしました。当時は茨城県取手、埼玉県の上尾、鴻巣、栃木県の小山などに新築住宅、マンションが次々に建設され、東京100km圏の新幹線通勤可能範囲には同様の現象が生じていました。郊外化の進展です。

 一部の大企業は新幹線通勤費を負担しており、それが郊外化に拍車をかけた側面もあります。六本木交差点では午前2時過ぎまで空車のタクシーはなく、また1メーターでは乗車拒否をされることもありました。さらに、午前0時を回ればタクシーでの帰宅が認められている企業もありました。

「東京スタディーズ」(画像:紀伊國屋書店)

 2005年に発表された「東京スタディーズ」(紀伊國屋書店)で、山田晴道が「脱・地名の歌詞世界の中で」の項で指摘した、ヒット曲の歌詞に東京を含む歌が減少している点がこの時点から始まっていたのかもしれません。

 山田は、かつて東京が上京者や地方在住者にとって大きな魅力となっていたものの、バブルの波が全国に広がったことで、生活様式は均質化、均等化し、交通と通信の発達により地理的隔絶感も薄れたことが具体的な地名を盛り込む必然性の喪失につながったと述べています。

 つまり東京を「魅力の象徴」として打ち出す必然性が、マーケティングの観点からなくなったのです。

 またバブル以降、J-POPのメガヒットが乱発したことで「誰もがイメージできる抽象的な恋愛空間」を描いた方が売り上げが伸び、地名を出すことにデメリットが生じました(もちろん、ピチカートファイブの「東京は夜の7時」(1993年)などの例外はあります)。時系列的に見て、1986オメガトライブ以降の歌詞世界はその初期的なアプローチと解釈できます。

 誰もイメージを仮託できる抽象的な恋愛空間を描いたのが、1986オメガトライブ、カルロス・トシキ&オメガトライブの残した楽曲だったのです。


【画像】現在の「杉山清貴&オメガトライブ」を見る

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