渋谷区「本町」なのに渋谷駅からずいぶん離れている理由
2021年8月11日
知る!TOKYO渋谷区本町は、区の中心である渋谷駅周辺から遠く離れた場所にあります。本町なのになぜ? ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
過去の地名を探る
まず1の「なぜ『幡ヶ谷本町』になったのか」から調べてきましょう。
この町名は、1932(昭和7)年の渋谷区誕生時に生まれました。もともと、渋谷区は豊多摩郡にあった
・渋谷町(しぶやまち)
・千駄ヶ谷町(せんだがやまち)
・代々幡町(よよはたまち)
が合併した区です。
このうち、代々幡町が現在の渋谷区本町のエリアにあたります。代々幡町の前身は1889(明治22)年に
・代々木村
・幡ヶ谷村
が合併してできた代々幡村で、その後、1915(大正4)年に代々幡町となり、渋谷区誕生(1932年)後に前述の幡ヶ谷本町となりました。

この命名経緯を示す資料は存在していません。ただ、江戸時代の幡ヶ谷村には
・新町
・原
・笹塚
・山谷
・本村
という五つの字(あざ)がありました、どうも、このなかの本村が本町の由来になったようです。
ただ代々幡町にとって、幡ヶ谷本町への変更は不本意な結果でした。
なぜなら、代々幡町では現在の新宿区を構成している淀橋(よどばし)町との合併を望む声のほうが多数派だったからです。ところが淀橋町は大久保町・戸塚町・落合町と合併して淀橋区となり、代々幡町は加われなかったのです。
加われなかった理由はさまざまあったようですが、
「現在の新宿区の西半分 + 渋谷区の初台・幡ヶ谷・笹塚エリア + 代々木エリア」
でひとつの区にすると、35区制だった当時では面積も人口も大きすぎでした(実際、このときにできた板橋区は現在の練馬区も含んでいたために大きすぎて、発足当初から「独立運動」が始まり、戦後に分離しています)。
対して、前述の
「渋谷町 + 千駄ヶ谷町」
だけでは小さすぎで、結局のところ、区の面積のバランスをとるために、代々幡町の意思が受け入れられなかったと考えることができます。
そのため、現在の渋谷区本町は「渋谷区なのに新宿区っぽい」というより、そもそも「新宿区になりたかった」というが正確でしょう。
また当時、新たな区の名前候補として代々木区という案もありました。もし渋谷区ではなく代々木区になっていれば、現在のような「渋谷区の外れ」というイメージは持たれなかったかもしれません。
ここでおさらいとして、渋谷区本町の変遷をまとめておきます。
幡ヶ谷村
↓
代々幡村(1889年、代々木村と幡ヶ谷村が合併)
↓
代々幡町(1915年、町制施行)
↓
渋谷区幡ヶ谷本町(1932年、渋谷町・千駄ヶ谷町と合併。1~3丁目まであり)
↓
渋谷区本町(ほんちょう、1960年。幡ヶ谷本町1~3丁目と幡ヶ谷原町の一部を再編し1~6丁目が誕生)
↓
渋谷区本町(ほんまち、1972年。町名を変更)
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