渋沢栄一が「官尊民卑」を嫌い、民間人の人生にこだわったワケ【青天を衝け 序説】

“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。


帰国後に退官、民間人へ

 ベルギー国王が直々に「わが国の鉄を買ってくれ」と口にしたことは、渋沢にとって衝撃的でした。現在なら、国王や大統領、首相といった国のトップが、他国と貿易について話を交わすことは珍しくありません。渋沢は驚きつつも、ヨーロッパのビジネス感覚こそが国の発展には重要であると考えます。

ベルギーの街並み(画像:写真AC)




 帰国後、渋沢は明治新政府へと出仕しますが、わずかな期間で退官。官職を辞した後、渋沢は常に民の立場から物事を考えていきます。以降、民間で生きるという渋沢の信念は、後年になっても変わることがありませんでした。

 1901(明治34)年、第4次伊藤博文内閣が倒壊すると、次の内閣総理大臣に井上馨が指名されます。渋沢の短い役人人生において、直属の上司だったのが井上です。役人を辞めて民間に転じた後も、渋沢は井上に厚い信頼を寄せていました。一方、井上も渋沢の才能を高く買い、全幅の信頼を寄せていました。

 そのため、内閣総理大臣に指名されると、井上は真っ先に渋沢を大蔵大臣に起用する案を固めます。しかし、井上が大蔵大臣の就任を打診しても、渋沢は政治家になる気はないと即座に断ったのです。

 渋沢は東京市の参与、東京市区改正審査会委員など政府や東京府の有識者会議などで民間人として委員に名を連ねたことがありました。また、一時的ですが、渋沢が居住していた深川(現・江東)区の区会議員を務めています。これらの役職は渋沢にとって政治家としての活動ではなく、あくまで地域へ貢献するための活動でした。

幻に終わった井上内閣と渋沢の不変性


【画像】渋沢栄一が愛した「山高帽」

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