「東京23区内の島は1つだけ」はウソ? 中央区「石川島」の謎について調べてみた【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(13)

一般的に「東京23区唯一の自然島」は江戸川区の妙見島とされていますが、本当でしょうか。都内探検家の業平橋渉さんがその謎について調べました。


「隅田川の土砂が滞積して三角州を形成」

 さらに石川島の始まりを調べてみると、名称は人名由来であることがわかりました。

 1626(寛永3)年に旗本船手衆(船頭や水夫などを指揮する武士)の石川八左衛門重次がこの島を賜り、それから代々の子孫が住みました。そのため「石川殿島」と呼ばれるようになり、それが省略されて石川島と呼ばれるようになりました。

 その後、1790(寛政2)年に人足寄場が設置されると、石川氏は翌1791年、麹町永田町馬場(現・千代田区永田町2丁目付近)に代地をもらって移転していきました。

 石川氏が島を賜ったのは1626年で、前述の三国島との地図記載が1632年ですから、三国島の時点で人が住めるような島だったことがわかります。

 さて、これ以前の島の様子はどうだったのでしょうか。隅田川沿いのエリアについて記した豊島寛彰の『隅田川とその両岸』上巻(芳洲書院、1961年)には、次のように記されています。

「要するに、近世にできた隅田川の三角州である。古図では寛永図に「三ごく島」とあるもので、当時は人跡不毛の一洲であり、昔は森島、鎧島、鉄砲洲向寄洲などいろいろの名称でよばれた」

 この一文から、当時の隅田川の河口付近の中州、すなわち自然島として石川島があったことが推測できます。

山本兼吉『月島発展史』(画像:国立国会図書館デジタルコレクション)

 さらに山本兼吉の『月島発展史』(京橋月島新聞社、1940年)には、次のように記されています。

「永禄(えいろく)年間の古図を見ると隅田河口には後年の石川島と覚しき三角州の存在があり、江戸時代に入って寛永時代の地図を見ると之れに「三こく島」の名称が附されている。思うに江戸湾に流入する隅田川の土砂が漸次滞積して一個のデルタを形成し、寛永時代には「島」と称する程度には発達せることを示すものである」

 ここで記された永禄年間(1558~1570年)の地図は今回確認できませんでしたが、この時代には既に地図に書き込む必要がある程度の陸地があったことは確かでしょう。

 つまり、石川島は23区に存在する自然島であったと認めてよいことになります。

佃大橋の架橋前までは島っぽい感じ


【画像】明治初期の「佃島・石川島」

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