「東京23区内の島は1つだけ」はウソ? 中央区「石川島」の謎について調べてみた【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(13)

一般的に「東京23区唯一の自然島」は江戸川区の妙見島とされていますが、本当でしょうか。都内探検家の業平橋渉さんがその謎について調べました。


「自然島」とはなにか

 佃島は、江戸時代初期に大阪の佃村から移住した住民が浅瀬を埋め立てて築いた島です。

 またつくだ煮の発祥の地であることや、下町の雰囲気を残すエリアとして、頻繁にメディアに取り上げられています。そのため、島の成立の過程を記した文献も多く存在します。

中央区佃にあるつくだ煮店(画像:(C)Google)

 一方、石川島は、超高層住宅エリア「大川端リバーシティ」のあるエリアとして知られていますが、佃島ほどのメディア露出はありません。当初は佃島と別の島でしたが、現在は完全に接続し、佃2丁目の一部になっています。

 江戸時代には人足寄場(浮浪人の収容所)が置かれ、明治以降に造船所がつくられて、IHI(江東区豊洲)の基礎が興った場所です。

江戸時代の地図からさかのぼる

 早速、文献をあたることにしましょう。

 石川島と佃島が記載された地図は、江戸時代になって見られるようになります。『中央区沿革図集 月島篇』(中央区立京橋図書館、1994年)では、江戸時代の地図に石川島と佃島がどのように描かれていたのか、その推移を図解しています。

超高層住宅エリア「大川端リバーシティ」(画像:写真AC)

 最初期の記載は1632(寛永9)年の「寛永江戸図」です。ここでは江戸の地図ギリギリに「三国島」として記載されています。その後の1657(明暦3)年の「新添江戸図」では、同じく地図ギリギリに石川島が「石川大隅守」という名前で記載されています。

 これが1689(元禄2)年の「元禄(げんろく)江戸図」になると、全体像が描かれるようになり、1771(明和8)年の「明和江戸図」では、ようやくふたつの島が当時の隅田川の河口にある形で描かれています。

 この変遷を見ると、江戸時代中期になってふたつの島が江戸の街の一部と認識されるようになったことがわかります。しかし肝心の、自然島なのか埋め立て地なのかはわかりません。

「隅田川の土砂が滞積して三角州を形成」


【画像】明治初期の「佃島・石川島」

画像ギャラリー

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