沖縄本島から360km 絶海の孤島「大東島」はかつて東京の植民地だった!
沖縄本島から360km東に位置する南大東島。同島はかつて東京の植民地でした。その歴史について、紀行作家の斎藤潤さんが解説します。
島に多い八丈島系の名字
全国でも屈指の実業家となった玉置半右衛門ですが、事業意欲は衰えません。所有船でハワイ、フィリピン、琉球諸島などを視察し、遠洋漁業出漁中に出会ったのが、大東諸島でした。
最初に開拓に着手したのが南大東島で、1900(明治33)年上陸に成功。当初は羽毛採取が目当てでしたがアホウドリはおらず、農地の開拓に着手してサトウキビ栽培を試みました。

南北大東島ともに、八丈出身者が中心となって開拓をはじめましたが、その後は沖縄各地から開拓移民が流れ込みます。そのため、沖縄県では唯一本土(八丈島)と琉球の文化が混交した島になりました。
それをよく表しているのが、浅沼・沖山・奥山・佐々木・菊池など、八丈島系の名字が多いこと。今でも、八丈島の親戚と交流がある家も多いそうです。
郷土料理にも深い関係性
大東島の郷土料理として知られる大東寿司も、ルーツは八丈島の島寿司です。サワラやトビウオなど地魚のヅケを握ったもので、地元の宴席には欠かせません。

ただし、八丈島の島寿司には洋カラシが使われますが、大東寿司はワサビです。
小笠原の固有種だった植物も
また、北大東島には特殊植物群落があるため国の天然記念物に指定されている長幕(ながはぐ)という場所があります。
幕をハグと呼ぶのは八丈方言で、こんなところにも八丈人によって開拓された歴史が垣間見えます。

ちなみに長幕を代表する特殊酒植物・ヒメタニワタリは、1972(昭和47)年に北大東島で発見されるまでは、東京都小笠原村母島の固有種とされていた希少植物です。
小笠原自体が主に八丈移民によって開拓されたことを考えると、不思議なご縁を感じてしまいます。
おすすめ

New Article
新着記事
Weekly Ranking
ランキング
- 知る!
TOKYO - お出かけ
- ライフ
- オリジナル
漫画