労働者の街から「城南の副都心」に大変貌 大井町の過去と現在と未来を考える

今では東京・城南の副都心に進化している大井町。その歴史について、フリーライターの出島造さんが解説します。


国鉄大井工場と地元商店街の強固な信頼

 再開発以前の大井町のにぎわいは、今とは少々趣が異なりました。

 品川区のほかの地域がそうであるように、大井町も国鉄大井工場(現・東京総合車両センター)や日本光学工業(現・ニコン)本社工場など大規模な工場が軒を連ねる工業地帯でした。大工場の周辺には住宅やアパートが立ち並び、商店街も繁栄。多くの人が働く工場は地域に欠かせない存在で、「労働者の街」と呼ばれるゆえんともなりました。

 例えば、国鉄大井工場は最盛期に約3000人が働いてました。昭和時代において、この工場に就職することは、生涯を大井町の住民として過ごすということでした。というのも異動はほとんどなく、退職まで働くのが一般的だったからです。

駅東にある昭和レトロな横丁「東小路飲食店街」(画像:(C)Google)

 とりわけ中学卒業者を対象にした養成所普通課程で入所すると、大井町での生活は人生そのものでした。なお養成所普通課程とは、高校レベルの教育と技術を習得させて、そのまま工場で働くもので、かつては多くの行政機関や企業が同様の制度を持っていました。

 そんな地域密着ぶりは、商店街での信用にも現れていました。当時は大井西銀座商店街と呼ばれていた、大井町駅から品川区役所までの通りにある大井サンピア商店街では、大井工場で働いている人は月賦・月末払いが当たり前でした。一方、駅南西の光学通りも日本光学工業の従業員を相手にした商店街が栄えていました。

 こうした商店街はそれぞれ、店と客が強固な関係をつくっており、客はひいきの商店街以外では買い物をしないのが常識だったといいます。

35年前に持ち上がった「大井プレイス構想」


【画像ギャラリー】国鉄時代の大井町駅周辺

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