日比谷の顔「日生劇場」を手掛けた建築家・村野藤吾 生誕130年を機に振り返る

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日比谷の顔「日生劇場」を手掛けた建築家・村野藤吾 生誕130年を機に振り返る

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小川裕夫

フリーランスライター

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日本を代表する建築家のひとりで、2021年で生誕130年を迎える村野藤吾をご存じでしょうか。今回は村野が手掛けた都内の建物について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。

横浜市の旧庁舎を手掛けた村野藤吾

 神奈川県横浜市で市長選が8月8日(日)に告示されます。横浜市の人口は370万人を突破し、市町村では日本最大を誇ります。それだけに行政課題は多岐にわたるわけですが、今回の市長選ではカジノを含むIR(統合型リゾート)の是非が大きな争点になっています。現在、横浜市はIRに対して理解を深めてもらおうと市庁舎でIRのパース図を公開展示しています。2020年、横浜市はそれまで関内駅前にあった市庁舎を馬車道駅前へと移転させました。新しくなった市庁舎は、これまでの庁舎とは異なり高層ビルとなっています。

日生劇場は有楽町・日比谷ではニューカマーだが、村野がデザインした建物はほかと比べてもヒケを取らない(画像:小川裕夫)



 それまでの使用されていた旧庁舎は、1959(昭和34)年に完成。完成から50年以上がたち、建物が老朽化したことや新たな機能が求められてきたことなどが理由となり、以前から横浜市は新庁舎を計画していたのです。

 旧庁舎の設計を手がけたのは、村野藤吾です。村野は丹下健三・前川國男と並び戦前から戦後にかけて活躍した日本を代表する建築家です。それだけに、村野が設計した市庁舎は多くの建築ファンから親しまれていました。

 村野は佐賀県東松浦郡満島村(現・唐津市)出身です。唐津出身の建築家には、東京駅や日本銀行を設計した辰野金吾、三菱に入社して丸の内の建物群を設計した曽禰達蔵(そね たつぞう)といった建築界のビッグネームがいます。

 辰野も曽禰もお雇い外国人のジョサイア・コンドルに学びましたが、村野はコンドルから教えを受けていません。また、辰野や曽禰から直接的に薫陶を受けたわけでもありません。

 村野は丹下健三と同時代に活躍しました。そのため、「東の丹下、西の村野」と称されることもあります。これは、村野が手がけた建築物が大阪を中心に西日本に多いことが理由です。

 西日本に多く点在する村野建築ですが、東日本にも村野が設計を手がけた建築物はたくさんあります。先述した横浜市庁舎もそのひとつでしたが、東京でも村野設計の建物がいくつかあります。

1963年に完成した有楽町の日生劇場

 横浜市庁舎と同様に、村野が手がけた公共建築物として知られるのが目黒区総合庁舎(目黒区上目黒)です。現在、目黒区総合庁舎として使用されている建物は、もともと1966(昭和41)年に千代田生命保険の本社ビルとして完成しています。

 しかし、千代田生命保険は2000(平成12)年に経営破綻。本社ビルは売却されることになり、目黒区の総合庁舎となったのです。

 庁舎として使用するにあたり、改装・改修が施されているものの、車寄せの庇(ひさし)・エントランスホール・らせん階段などに村野のデザインが残っています。

 目黒区総合庁舎のほかにも、村野デザインの建物として人気が高いのは有楽町駅や日比谷駅から至近の日本生命日比谷ビル・日生劇場(千代田区有楽町)です。

百貨店として日本初の重要文化財となった日本橋高島屋は高橋貞太郎の設計だが、1952年以降に4回の増改築を実施。村野が増改築を担当(画像:小川裕夫)



 彫刻作品のような外観は、隣接する帝国ホテルや日比谷公園の緑ともマッチしています。有楽町・日比谷かいわいは、帝国劇場や東京宝塚劇場などがひしめく劇場街として知られています。

 これら多くの劇場は明治から戦前昭和に建てられていますが、日生劇場は1963年に完成。日生劇場は有楽町・日比谷かいわいの中で後発組ですが、醸し出される雰囲気によって新参舎という印象を与えません。

 有楽町には、村野がデザインした読売会館(同)もあります。現在、ビックカメラが入居している読売会館は1957年に完成。当時は百貨店のそごうが入居し、フランク永井が歌うテーマソング「有楽町で逢いましょう」は大ヒットとなりました。

 そうしたことから、読売会館は百貨店・家電量販店のイメージが強くありますが、建物上階はミニシアターやコンサートホールなどを備える劇場になっています。

2021年は村野の生誕130年

 村野が関西を主な活躍フィールドにしていたのは、近畿日本鉄道(近鉄)が大口クライアントだったからです。

読売会館(左)と並んで建つ東京国際フォーラム(右)。東京国際フォーラムの場所には、1997年まで都庁舎があった。つまり、読売会館は都庁と並んでいたことになる(画像:小川裕夫)



 近鉄系列の駅舎・ホテルは関西にたくさんあり、村野はそれらの多くを設計しました。近鉄グループは東京にもホテルや百貨店を所有していたことから、それらも村野が設計を担当しています。

 近鉄と深い関係を築く一方、村野は新高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル新高輪、港区高輪)といった西武鉄道グループの建築物も手がけています。

 村野は1984(昭和59)年に93歳で没しますが、晩年になっても建築への意欲は衰えることがなく、そのために没後にも多くの建物が完成しています。

 とはいえ、村野が没してから37年が経過しています。保存・再生される建物もありますが、横浜市庁舎のように耐用年数を迎えて解体される村野建築も出てきています。

 2021年は、村野の生誕130年にあたります。少しずつ消えていく村野建築を巡ってみるいい機会かもしれません。

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