揚げパン、ソフト麺、ミルメーク……懐かしの「学校給食」、あなたの好きなメニューは何だった?
2021年7月31日
ライフ子どものころ誰もが食べた学校給食。その始まりについて、エデュケーショナルライターの日野京子さんが解説します。
大正期に生まれた栄養概念
現在のように栄養バランスの考えられた給食が登場するのは、大正時代に入ってからです。大きな変革を担ったのが、日本の「栄養学の父」と言われる医学博士の佐伯矩(さいきただす)によって1914年(大正3)年に開設された私立栄養研究所です。
同研究所は、成長期の児童に栄養ある食事を取ってもらうために栄養パンを開発するなど、それまでの給食の概念を大きく覆す取り組みを推進しました。
研究所が考案した給食は、1917年に泰明小学校(中央区銀座)、翌年からは東京の他の小学校でも提供されました。

こうした動きもあり、大正年間に国は小学校での給食推奨へと動きますが、全国的な整備には至りませんでした。現在につながる学校給食は戦後になってからです。
連合国軍総司令部(GHQ)主導のもとで、学校給食は再開。戦後から1960年代頃まで提供された脱脂粉乳は、特にある世代以上の人たちの共通した思い出になっています。
しかし、給食を安定的に提供するには財源が必要です。サンフランシスコ講和条約(1952年発効)で国家主権を回復し、アメリカからひとり立ちした日本では学校給食の維持が難しい状況になりました。
しかし給食廃止を避けるべく、学校給食を制度化するために成立したのが学校給食法です。1954(昭和29)年に公布されたこの法律によって、学校給食の整備が進み、現在に至ります。
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