はとバスの歌でおなじみ? 出勤は朝4時台、昭和名物「バスガール」を振り返る

東京のバスにかつていたバスガール。その歴史について、フリーライターの真砂町金助さんが解説します。


「添乗員」という扱いも

 ところで、バスガールはいつ頃完全に消滅したのでしょうか。

 新聞記事を調べてみたところ、首都圏では1988(昭和63)年時点で、横浜市営バスの、横浜市磯子区の滝頭市電保存館前から、JR磯子駅前・京浜急行杉田駅前を経由し、峰へ向かう10系統と、磯子駅前と氷取沢を結ぶ93系統には車掌が乗車しているとあります(『朝日新聞』1988年5月21日付朝刊)。

 記事によれば、正確には車掌ではなくワンマンバスの「添乗員」という扱い。当時、この路線は道路が狭く、駐停車している車両も多いため、運転手ひとりでは安全確保が困難と判断し、複数乗務が行われていたそうです。

 路線の本数は2系統で23往復とそこそこ多かったため、いわゆる「バスガール」である女性乗務員のほか、男性運転士も交代で車掌役を務めていたと記されています。

 資料を調べた限りで、バスの車掌乗務景は既に過去の記憶となっているようです。それでも歌はこれからも長く歌い継がれていくのでしょう。

「「はとバス」六〇年 昭和、平成の東京を走る」(画像:祥伝社)

 ちなみにインターネット上には、はとバスが『東京のバスガール』のモデルという説がいくつも記述されていますが、根拠はありません。「「はとバス」六〇年 昭和、平成の東京を走る」(祥伝社)の著者、中野晴行さんに聞いたところ

「はとバスの広報に確認しましたが、特にコロンビアレコードからモデルにしたいと申し出があったという記録はなく、そのへんはよくわからないとのことでした。否定も肯定もできないです」

とのことでした。


【画像】『東京のバスガール』のレコード

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2021/07/210731_bus_04-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/07/210731_bus_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/07/210731_bus_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/07/210731_bus_03-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画