はとバスの歌でおなじみ? 出勤は朝4時台、昭和名物「バスガール」を振り返る

東京のバスにかつていたバスガール。その歴史について、フリーライターの真砂町金助さんが解説します。


「地道な路線バスの車掌」への目線

 ただこの歌が共感を呼んだのは、路線バスの車掌のイメージでした。

『朝日新聞』夕刊で連載されていた「戦後歌謡史 歌の中の東京」の『東京のバスガール』を取り上げた回(1995年7月26日付夕刊)には、

「観光バスのガイドではなく、地道な路線バスの車掌である。生き生きと働く若い女性像が共感を呼んだ」

とあり、初代コロムビア・ローズの語った

「バスガールはぐっと身近でしたからね。子供を都会に出した人たちの身につまされる感慨もあったのでしょう。公演にいく先々で大歓迎されました」

という思い出も記しています。

重労働だった車掌の仕事

 さて、『東京のバスガール』で歌われたバスの車掌も既に過去の職業になりました。観光バスにバスガイドは乗車していますが、路線バスで車掌が乗車している姿はもう見かけません。

東京の路線バス(画像:写真AC)

 現在のように、運転手がひとりで乗務するワンマン化が進んだのは1960年代のことです。『東京のバスガール』でイメージされる都営バスで車掌が廃止されたのは、1970(昭和45)年のこと。バスの車掌は主に女性が採用され、もっとも身近な「働く女性」でもありました。

「路線バスの花」というような表現も見られますが、車掌の仕事は重労働です。なにしろバスは年中無休。早出のときは朝4時半頃に営業所へ出勤します。板張りの車内を掃いて、窓を拭き、運転台を磨くところから仕事は始まります。

 発車すると乗客を相手に切符を切り、停留所を案内。当時のラッシュ時の混雑は過酷です。ドアが閉まらないところまで乗客を詰め込んで、車掌が腕を張って入り口で踏ん張りながら「発車オーライ」ということも。

 みんなが「黄色い部分には立たないでください」というルールを守る現代とは大違い。それでもバスの車掌は、女性が働いて自活できるだけの給料を得られる職業として人気でした。

『東京のバスガール』がヒットしたのは、彼女たちの身近さにあったと言えるでしょう。

「添乗員」という扱いも


【画像】『東京のバスガール』のレコード

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