江東区vs杉並区――世界有数の清潔都市「東京」を生み出した昭和「東京ゴミ戦争」をご存じか

極めて衛生的な都市として世界に知られる東京。そんなイメージが出来上がる裏には、数多くの苦労がありました。今回振り返るのは昭和の「東京ゴミ戦争」です。フリーライターの出島造さんが解説します。


迫り来るごみの危機

 1971(昭和46)年9月、こうしたなかで当時の東京都知事・美濃部亮吉は

「迫り来るごみの危機は、都民の生活をおびやかすものである」

として「ごみ戦争」を宣言します。この背景にあったのは、ゴミ処理を巡る文字通りの戦争というべき地域対立でした。

 夢の島へとゴミを運ぶための収集車やダンプカーは必ず江東区内を通過するため、東京23区のゴミはほぼ一度、江東区に集まります。当時は今のようにゴミを袋に入れて分別する方式はなかったため、生ゴミを積んだ車が街なかを走っていました。現代の東京からは想像もできない悪夢です。

江東区(画像:(C)Google)




 最近はマンションエリアに姿を変えつつある同区のある地区を取材した記事にはこう書かれています。

「ちょうど昼食時で、夢の島へ通じる辰巳団地わきの道路にずらりとトラックを並べたまま、運転手たちは近くの食堂にはいっているらしかった。道路にはトラックの落としたゴミが散らばり、汚汁が流れていた。プーンと鼻をつく悪臭、ずらりと並んだゴミ・トラック。「いつまで掃きだめにしておくつもりか」という住民たちの怒りが伝わってくうようであった。なにしろ、ここで毎日生活しているのである」(『諸君!』1973年3月号)

 このような悲惨なこの状況は早くから問題になり、東京都では1956(昭和31)年から23区にそれぞれ清掃工場を建設し、処理をすることを基本方針とします。生ゴミの埋め立てを止め、ゴミを排出した地域で焼却処分し、灰を埋め立てるというわけです。

清掃工場建設を巡る江東区と杉並区の争い


【事前にチェック!】東京都「埋立処分場」の変遷

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