鬼滅「遊郭編」放送で吉原は観光地になるか? 伝説の昭和「花魁ショー」を手掛かりに考える

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鬼滅「遊郭編」放送で吉原は観光地になるか? 伝説の昭和「花魁ショー」を手掛かりに考える

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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『遊郭編』2021年放送も決定し、再び話題となっている『鬼滅の刃』。その舞台である吉原遊郭の歴史について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

女性から近年注目される吉原遊郭

『鬼滅の刃』が再び話題です。

 先日、劇場版『無限列車編』が9月に地上波で初放送されることが発表され、続いて『遊郭編』の2021年放送も決定。第1弾となる予告編が公開されています。

テレビアニメ化が決定した『鬼滅の刃』遊郭編(画像:アニプレックス)



 筆者(昼間たかし、ルポライター)は『遊郭編』を機に、舞台となる吉原遊郭のあった場所が観光地としてクローズアップされるのではと予想しています。

 現存する建物も少なくなり、過去の記憶が消え去ろうとしている吉原遊郭。しかし近年、とりわけ女性から熱い注目を浴びています。

再評価のきっかけはひとつの出版社

 遊郭の再評価において欠かせない存在が、遊郭の書籍を専門とする出版社「カストリ出版」で、同社は遊郭関連の貴重な資料の発掘・復刻を行っています。

 最初に復刻された『全国女性街ガイド』は、1950年代の全国の赤線(売春を目的とする特殊飲食店街)の様子を収めた1級資料です。国会図書館に蔵書がなく、原本は山梨県立図書館(山梨県甲府市)に1冊、東京大学農学生命科学図書館(文京区弥生)にコピーが1冊しかないという超希少本でした。

 同社は2016年からは吉原にカストリ書房(台東区千束4)を開店。吉原を街歩きする際には外せないスポットとなっています。

カストリ出版が復刻した『全国女性街ガイド』(画像:カストリ出版)

 吉原の街の区割りは遊郭のあった江戸時代のままであり、見返り柳などわずかに痕跡も残っていますが、観光コースや街歩きのスポットとしてはあまり取り上げられてきませんでした。

 吉原という地名は1966(昭和41)年の住居表示で消滅。それでも吉原という名称が残ったのは、赤線の廃止後に性風俗店が立ち並んだためです。現在でもかいわいに150軒あまりが集まっています。そんなこともあり、吉原という名称を口に出すことは少々はばかれる雰囲気でした。

はとばす開催の「夜のお江戸ツアー」

 とはいえ、吉原が観光コースとまったく無縁だったわけではありません。吉原を絡めた観光として長く親しまれたのが、かつて吉原にあった料亭・松葉屋で開かれていた花魁(おいらん)ショーです。

 松葉屋では1953年から吉原芸者の座敷芸とたいこ持ちのショーを組んでいましたが、時代の変化とともに新たなスタイルに変化。作家・久保田万太郎の助言を得て1958(昭和33)年に花魁ショーを始めました。

現在の台東区千束と明治初期の吉原(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 このショーは評判となり、始まりから数年後にはとバス(大田区平和島)の「夜のお江戸コース」に組み込まれて大人気となりました。久保田万太郎は浅草生まれの粋人として知られていたため、このショーは昔の吉原をしのぶことができると評判になりました。

 花魁は坂東流・花柳流・藤間流と、日舞各流派の名取で、その象徴ともいえる黒げたは高さ30cm・重さ7.5kg、かつらは7.5kg、衣装はすべて合わせて15kgでした。

 そんな衣装を身につけた花魁が、日本舞踊家・猿若清方(さるわか きよかた)振り付けの踊りを見せ、客のひとりを舞台に上げて杯事と吸い付けたばこのやりとりをしていました。衣装も11月の酉(とり)の市から翌年5月までが冬、6月と10月が合い、7~9月が夏と季節において変わったため、リピーターも多かったようです。

 大いににぎわったこのショーですが、1990年代に入ると客足が低迷、松葉屋の建物が老朽化したこともあり1998(平成10)年2月末で終了しました。終了後、松葉屋では台東区民を無料招待して10日間のショーを実施し、大いににぎわいました。

 また終了を残念がる声に対して、はとバスでは本当に最後となる「夜のお江戸ツアー」を開催、こちらは10日間の運行でバス71台が必要となる大盛況となったのです。

1998年に再現された花魁道中

 こうしてショーの最終日となった1998年3月29日、松葉屋では特別に花魁や木遣(や)り、手古舞など総勢30人が繰り出す「花魁道中」を実施。道中は松葉屋玄関前から吉原神社(千束3)までの300mを約2時間かけて往復し、往時の花魁道中を見事に再現しました。

 その松葉屋の建物もいまはなく。敷地にあった久保田万太郎の句碑は吉原神社に移設されています。この神社は、浅草名所七福神の一柱である弁財天をお祭りした神社として知られます。浅草名所七福神は江戸時代の末に始まったとされ、長らく途絶えていましたが1977(昭和52)年に復活し、現在に至っています。

台東区千束にある吉原神社(画像:(C)Google)



 なお、浅草名所七福神は次のとおりです。

・浅草寺(大黒天、台東区浅草2)
・浅草神社(恵比須、同)
・矢先稲荷神社(福禄寿、同区松が谷)
・鷲神社(寿老人、同区千束)
・吉原神社(弁財天、同)
・石浜神社(寿老神、荒川区南千住)
・橋場不動尊(布袋尊、台東区橋場)
・今戸神社(福禄寿、同区今戸)
・待乳山聖天(毘沙門天、同区浅草7)

 なお吉原神社は下町八福神にも属しています。どちらのコースも多くの神社に参拝するので御利益が折り紙付きですが、下町八福神は中央区の神社まで含んでいるため、かなり長大なコースです。途中、人形町の元吉原を通れるので、新旧の吉原をめぐる徒歩旅行として計画すると面白いかもしれません。

 昨今、アニメの舞台をめぐる「聖地巡礼」は盛んです。『遊郭編』の放送で吉原を訪れる人は多くなりますが、その際、この土地の歴史をよく学んでおくと、より価値のある巡礼ができるはずです。もちろん今でも生きた街ですから、むやみにカメラを向けるのは控えてください。

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