渋沢栄一が「日本資本主義の父」の道を築いた華麗なる「おフランス体験」【青天を衝け 序説】

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渋沢栄一が「日本資本主義の父」の道を築いた華麗なる「おフランス体験」【青天を衝け 序説】

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小川裕夫

フリーランスライター

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“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。

過激だった水戸藩士

 NHK大河ドラマ「青天を衝け」は7月4日放送回で、草彅剛さんが演じる徳川慶喜が15代将軍に就位しました。徳川最後の将軍となる慶喜ですが、それは後世から見た歴史に過ぎません。慶喜は次代のことも考えて、弟の昭武をパリへと派遣します。

2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のウェブサイト(画像:NHK)



 板垣李光人(りひと)さんが演じる昭武は幼さを残していますが、作中の描写からもわかるように、慶喜は昭武に大きな期待を寄せていました。

 パリへの派遣は将軍の名代として万国博覧会へ出席することが主目的でしたが、それ以外にも西洋諸国の王室との友好を深める外交的な役割も課されていました。

 そうした公務を終えた後は、現地に滞在して西洋の文化を体験し、先進的な学問を修めることも求められていました。つまり、昭武は16代将軍として期待されていたことが読み取れます。

 昭武をパリへ派遣するにあたり、その身辺は水戸藩出身者で固められることになりました。慶喜・昭武の父は竹中直人さんが演じていた前水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)です。斉昭は強固な攘夷(じょうい)思想の持ち主だったため、水戸藩士の多くも攘夷思想に染まっていました。

 岸谷五朗さんが演じた井伊直弼を桜田門外の変で暗殺したのは薩摩藩士と脱藩した元水戸藩士、堤真一さんが演じた平岡円四郎を暗殺したのも水戸藩士でした。こうした点から見ても、水戸藩士には荒くれ者が多かったことがわかります。

 昭武の警護役として水戸藩出身者は頼もしい存在ですが、諸外国でむやみに刃傷沙汰を起こすわけにはいきません。昭武とともに派遣されるのが荒ぶる水戸藩士だけだったら、異国でトラブルが頻発することは誰の目にも明らかでした。

 そこで、慶喜は昭武の世話役として渋沢栄一にもパリへの随行を命じます。一時期、渋沢は攘夷思想に傾倒していた過去がありました。しかし、一橋家に仕官してからは過激な攘夷思想を改めています。

フランスで体験した経済システム

 慶喜は、そんな渋沢なら荒ぶる水戸藩出身者の気持ちを理解できるだろうと踏んだのです。水戸藩出身者たちも渋沢の忠言を聞き入れて、短慮は起こさないだろうという読みもありました。

 そうした水戸藩出身者たちの配慮にくわえ、渋沢は会計知識にたけていることも大きな評価ポイントになりました。昭武のパリ滞在は、長期間におよぶことが想定されていました。その間、幕府から滞在費・生活費などが手当てされるわけですが、海外での生活はなによりも費用がかさみます。そのため、しっかりと出納を管理し、無駄な支出を抑えなければなりません。そうした金銭管理に渋沢はうってつけだったのです。

 とはいえ、幕府から送られてくる滞在費・生活費は潤沢ではありません。フランス滞在中の渋沢は、かなり金銭の管理に頭を悩ませたようです。ここで、後に「日本資本主義の父」とも称される渋沢が本領を発揮します。

国債のイメージ(画像:写真AC)



 幕府から支給された滞在費は、長い年月を生活するには決して潤沢ではありません。それでも多くの武士が何か月も滞在するのですから、まとまった現金を持っている必要がありました。

 渋沢は多くの現金を持たされたわけですが、これを使い込むわけにはいきません。かといって、手元に置いていたら紛失や盗難というリスクは高まります。不意のアクシデントに備える必要がありました。

 手元にある莫大(ばくだい)な滞在費をどうするか? 渋沢は悩んだ末にフランス政府から派遣されていた世話係に相談。すると、「まとまった金があるなら、年率4~5%の利子がつく国債や鉄道公債を購入するのがよい」とのアドバイスをもらったのです。

 アドバイスに従い、渋沢は国債と鉄道国債を購入。これらは帰国時に売却されますが、5~600円ほどの差益を得ました。

 渋沢は国債や鉄道公債を購入したことでその仕組みを知り、銀行や株式取引所が経済上で便利なシステムであることを痛感します。そして、帰国するとフランスで体験した経済システムを構築するべく奔走しました。

約1年半におよんだパリ生活

 渋沢のフランス体験は、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京株式取引所(現・東京証券取引所)、日本鉄道(現・JR東日本)などを立ち上げる原動力になっていきました。

 昭武は万博が終了した後もフランスに居住し、勉学に励みました。ベルギーやオランダなどにも足を運び、鉄工所や造船所といった近代的な工場の視察もしています。パリ滞在中に、徳川幕府は崩壊。明治新政府は、海外に滞在していた昭武を呼び戻しました。

パリの街並み(画像:写真AC)



 予定を切り上げて強制的に帰国することになったため、昭武や渋沢のパリ滞在は当初の予定よりも短くなりました。それでも海外での生活は、約1年半にもおよびました。

 この1年半の滞在は、昭武に大きな影響を与えます。もちろん、渋沢にとっても得ることが多い体験でした。日本資本主義の父・渋沢の土台となるパリで得た知見や思想は後年に生かされていきます。

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