“ちょいダサ”イメージから完全脱却 ユニクロが巻き起こした1998年11月「原宿事変」とは何か?

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“ちょいダサ”イメージから完全脱却 ユニクロが巻き起こした1998年11月「原宿事変」とは何か?

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金平奈津子

フリーライター

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老若男女、おそらく誰もが1着は持っていると思われるユニクロ。すっかり国民的ファッションブランドとなりましたが、かつては「安くてダサい」という印象を抱かれていました。そんなユニクロが180度イメージを刷新する機会が、1998年11月に訪れます。いったいどのようなものだったのでしょうか。

ひとり1着は確実に持っている“国民服”

 ファストファッションの代名詞といえる「ユニクロ」。誰もが家に最低1着はユニクロの衣服を持っているはず。いまや、東京のみならず日本での生活において無くてはならないものになっているといえます。

ユニクロ原宿店(画像:(C)Google)



 そんなユニクロが、単に安いだけではない誰もが欲しがるアイテムとして注目されるようになったのは東京のファッション中心地・原宿へ進出してからでした。

 山口県宇部市で「メンズショップOS」を展開していた小郡商事が広島市にユニセックスカジュアルを取り扱う「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」をオープンしたのは1984(昭和59)年6月のことでした。

 全国的に注目されるようになったのは1994(平成6)年頃からです。

 このとき、ユニクロはすでに105店舗を出店しましたが、まだ商圏が九州北部と中京にとどまっていました。そんなユニクロが関東への出展を開始したのです。出店攻勢によってユニクロは拡大し1997年4月には東証二部上場を果たしています。

 拡大によって知名度は上がっていましたが、1990年代中盤までのユニクロは決して「人気のショップ」とは言いがたい側面を抱えていました。背景には、長らく日本人が親しんできた服に対する意識があります。

 日本ではもともと、洋服にこだわるという文化は限られた趣味人のものだったといえます。これが1980年代に入ると急速に大衆化します。

 誰もが自身の収入の中から頑張って憧れの高額ブランド服を手に入れようとしたり、それを身に着けて人に自慢し合ったりするようになったのです。

服は高いほど価値があるとされた時代

 ここで重要なのは、見た目よりも「価格」と「欧米優位の思考」です。

 ユニクロは1994年にはデザイナーをニューヨークに駐在させてデザインを強化する路線を開始していましたが、1980年代からバブルの時期を挟んで根付いた信仰のようなものは強固でした。

 価格こそ服の良しあしを表し、さらには(欧米などの)有名ブランドであるか否かが価値基準とされていました。着こなしを自ら工夫してオシャレに見せることに当時の日本人はまだ慣れていませんでした。

いくらか、どこのブランドか、が絶対的な価値基準だったかつての日本(画像:写真AC)



 ですから、価格が安い、しかも安さの理由は中国で生産しているからというユニクロは「オシャレではない」という先入観を持たれていたのです。

 それが大きく変わったのは1998(平成10)年11月28日、原宿店(渋谷区)の出店でした。

 ファッションの先端地である原宿にユニクロがオープンしたことは、消費者が持つイメージを大きく変えました。

 当時の新聞記事が象徴的です。現代ではユニクロと比較する際に思いつく同業他社といえば「ZARA」や「GAP」などでしょう。しかし当時の新聞記事はたいてい比較対象として「ジーンズメイト」と「ライトオン」を並べていたのです。

 原宿出店以前のユニクロが消費者にどのようなブランドとして認識されていたかを示す実例とも言えそうです。

「無印良品と同程度」にランクアップ

 地方や郊外の国道沿いで見かける、安価なカジュアル量販店。あえて言うならば、安いけれどもちょっと“野暮ったい”といったイメージが浸透していたわけです。

 ところが、明治通り沿いにオープンしたユニクロは、路面3層の当時としては巨大かつオシャレな店舗。今までユニクロの看板は見たことはあってもあえて入店するまでには至らなかった人たちは、店内に足を踏み入れて驚きました。

 雑誌『週刊SPA!』1999年3月3日号では、原宿店を次のように紹介しています。

「肝心の商品なのだが、これは予想通りジーンズメイト的。コットンセーター2900円、ボタンダウンシャツ1900円、そんな感じ。だがどこかジーンズメイトより品良く見えるのが妙に気にかかる」

「テイストは違うが、無印良品くらいのブランドイメージはあらかた獲得しているように思えるのだ。で、無印良品よりも商品単価は圧倒的に安いし」

JR原宿駅前に構えるユニクロ原宿店。2020年6月にオープン。旧原宿店が2012年に閉店して以来8年ぶりの原宿復帰となった(画像:(C)Google)



 これは意識の大転換でした。ボタンダウンシャツでいえば、確かにブルックスブラザーズには叶わないかも知れないけれど、無印良品とは同等、かつ安くてオシャレ。

 すなわち、人前に出るときやデートのときに着ていても何ら問題はないと、誰もが気付いたのです。

(ちなみにジーンズメイトやライトオンも、当時と比べてどんどん良くなっていっていると思います。)

2000年、女性誌がユニクロ特集

 今でこそ、ちょっと値の張る洋服でも中国製というのは珍しくありません。

しかし、まだ中国製の服は「安かろう悪かろう」と言われていた時代に、いち早く企画から製造、販売の自社管理を行っていたユニクロは、原宿店で多くの人が手に取ったことで、一躍信用を獲得したのです。

フリースやカシミアなど、さまざまなヒット商品を生み出しユニクロの快進撃が始まった(画像:写真AC)



 女性ファッション誌『オリーブ』2000年2月3日号では「大人気のユニクロはなぜ安くて、悪くないのか?」のタイトルで特集しています。

 この特集では定番の売れ筋商品であるオックスフォードシャツを例に、価格の安さにもかかわらず縫製がしっかりとしている点を解説しています。
 
 この原宿店の出店とそれに続いたフリース商品の投入こそがユニクロを、気軽に着ることができて人前に出ても全く問題ないブランドとして認識させたことは間違いありません。

 原宿店への出店こそが、歴史のターニングポイントだったのです。

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