ビル街に現れる「江戸の風景」 東京都内に約70棟ある「長屋門」を巡る

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ビル街に現れる「江戸の風景」 東京都内に約70棟ある「長屋門」を巡る

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野村宏平

ライター、ミステリ&特撮研究家

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東京都内に約70棟残されている長屋門。その歴史と魅力について、ライターの野村宏平さんが解説します。

赤坂の武家屋敷門

 東京の赤坂はオフィス街と繁華街の両面を併せ持つ都心のビル街ですが、東京メトロの赤坂見附駅から徒歩5分ほど、青山通りを左にそれて牛鳴坂を登っていくと、近代的な街並みのなかに、時代がかった和風の大きな門が突然現れてびっくりさせられます。

 2016年、山脇学園(港区赤坂)の新校舎建築事業の一環として、千葉県の九十九里町から移築された門です。山脇学園では「志の門」と呼んで、入学式や卒業式など節目の日に開いて、生徒が志を新たにする機会としているそうですが、この門には長くて複雑な歴史があります。

港区赤坂にある山脇学園「志の門」。旧本多美濃守忠民屋敷門。重要文化財(画像:野村宏平)



 もとは現在の東京駅近くにあった老中・本多美濃守忠民(ほんだ みののかみ ただもと。三河国岡崎藩)の江戸上屋敷表門で、1862(文久2)年の火災の後、再建されたといいます。現在の門の長さは21.8mですが、当初は120mにも及ぶ長大なものだったそうです。

 明治維新後は、新政府が屋敷を接収。司法省庁舎などに使用された後、私立海軍予備学校に払い下げられ、1899(明治32)年、同校の移転に伴って、門のみが現在と同規模の状態で麹町区霞ケ関町(現・千代田区霞が関)に移されました。

 その後、門は国有化を経て実業家の藤山雷太に払い下げられ、芝白金に移されて終戦を迎えます。

赤坂に再移築された経緯

 戦災を免れた藤山邸は戦後約6年間、米軍の将校宿舎に使用された後、イタリア大使館に貸与され、1964(昭和39)年に近畿日本鉄道が買収。門は近鉄から山脇学園に寄贈され、1974年、九十九里町の臨海学校施設に移されました。そして2016年、里帰りするかのように赤坂に再移築されて現在に至るわけです。

 この門には左右に門番が詰める番所が備えられていますが、このように扉口(とびらぐち)の両側に家臣や使用人の部屋が設けられている門は「長屋門」と呼ばれます。諸大名の武家屋敷門として江戸時代に多く建てられました。

 やがて長屋門は名字帯刀を許された富裕な農家や庄屋などでも造られるようになり、明治以後は一般農家にも普及しますが、これらには番所はなく、扉口両脇の部屋は使用人の住居や納屋、作業所、馬小屋などに利用されました。宮城県の栗原市には、いまでも500棟以上の長屋門が残っているといいます。

 さすがにこの数には及びませんが、東京都内にも70棟ほどの長屋門があります。大きくて存在感のある長屋門は目を引くだけでなく、歴史的に重要なものが少なくありません。そのうちのいくつかを紹介しましょう。

格式高き大名屋敷の門

 東京にある長屋門の代表格といえば、上野公園(台東区上野公園)にある旧因州池田屋敷表門でしょう。東京国立博物館の敷地内にありますが、道路に面して建っているため、入場しなくても表側だけなら、路上からその姿を観察することができます。

東京国立博物館(台東区上野公園)にある旧因州池田屋敷表門(黒門)。重要文化財(画像:野村宏平)



 東京大学の赤門(加賀藩・前田家屋敷門)に対して黒門とも呼ばれるこの門は、もとは丸の内にあった鳥取藩・池田家の表門で、入り母屋造りの屋根と向唐破風(むこうからはふ)の番所を備え、大名屋敷の門としてもっとも格式が高いものです。創建年代は不明ですが、建築形式と手法から見て、江戸時代末期のものと考えられています。

 1892(明治25)年、芝高輪台町(現・港区高輪)の高輪皇族邸(のちに東宮御所を経て高松宮邸)の表門として移築され、1951年に重要文化財に指定されました。現在地に移されたのは1954年のことです。

お寺に残る長屋門

 東京都でもっとも長屋門の多いエリアが練馬区です。

 農家型の長屋門が個人邸の門としていくつか残されているのが特徴ですが、秋の陽公園(練馬区光が丘)入り口のような新しいものまで含めると、少なくとも9棟の長屋門が現存しています。なかでも由緒正しいのが、三宝寺(同区石神井台)にある長屋門です。

三宝寺にある旧勝海舟邸長屋門(画像:野村宏平)

 この門はかつて勝海舟邸にあったもので、文政年間(1818~30年)に建てられたといわれています。1924(大正13)年、成増駅の南側にあった兎月園(とげつえん)というレジャー施設に移されましたが、同園は1943年に閉園。1960年、三宝寺に再移築されました。

 三宝寺には、1827年に建てられた徳川家ゆかりの山門──御成門(おなりもん)もあり、こちらは練馬区の有形文化財に指定されています。また、三宝寺の脇の道を三宝寺池方面に向かうと、森に隣接して個人邸の長屋門がひっそりとたたずんでおり、門を巡る散策には絶好の一帯になっています。

 長屋門が見られるお寺は、三宝寺以外にもいくつかあります。例えば、三宝寺の隠居寺といわれる安楽寺(板橋区徳丸)も立派な長屋門を構えています。

 また蓮光院(大田区下丸子)は、江戸時代末期に建てられた小大名格の武家屋敷門を山門にしています。

 ただし詳細は不明で、岡山藩主・池田家下屋敷の表門だったとか、芝の毛利邸の門だったとか、岡山生坂藩の江戸上屋敷表門だったとか、諸説あるようです。明治時代、西馬込の豪農・河原家に移築されましたが、昭和初期、国道の建設で門を撤去。大田区に寄贈された後、蓮光院に移されたということです。

住宅街のなかの長屋門

 JR中央線と東京メトロ丸ノ内線が接続する荻窪駅南口から東へ徒歩3分ほど、商店街から住宅街へと移行する街並みのなかに、17階建ての藤澤ビル(杉並区荻窪)が見えてきます。その南側に、長屋門と「明治天皇荻窪御小休所」と刻まれた石碑があります。

杉並区荻窪にある旧中田家長屋門と明治天皇荻窪御小休所石碑(画像:野村宏平)



 ここはかつて名主を務めていた中田家の屋敷があった場所で、1883(明治16)年、明治天皇が近衛師団の演習の統監をするため埼玉県飯能に向かった際や、小金井の桜を見行く途中に立ち寄る休息所になっていたそうです。

 さらに歴史をさかのぼれば、徳川第11代将軍・家斉がタカ狩りの際、ここで休憩したともいわれています。

 中田家の屋敷は戦後、譲渡されましたが、1987(昭和62)年にビルが建てられた際、現在の場所に御小休所と長屋門が移築復元されたということです。

 世田谷区の住宅地にあるマンション・多摩川テラス(世田谷区岡本)では、江戸時代中期に建てられたと思われる武家屋敷の長屋門が管理棟として使われています。

 この門は本来、岡山市を流れる旭川の中州にあった岡山藩家老・伊木家の下屋敷表門でした。しかし昭和初期、旭川の河川改修で同所が水没することになったため、日産自動車の創始者・鮎川義介が門を買い取り、麹町区(現・千代田区)紀尾井町の自邸に移築しました。

 さらに1963年、岡本の新居に移され、1978年、マンション建設のため現在地に曳屋(ひきや。建造物を解体せず、全体を持ち上げて別の場所に移動させること)されたということです。

明治以降に建てられたユニークな長屋門

 目黒区には、伝統的工芸品の博物館である日本民藝館(目黒区駒場)があります。その本館向かいに建つ西館は、もとは初代館長・柳宗悦(やなぎ むねよし)の自邸でしたが、入り口が堂々たる長屋門になっています。

目黒区駒場にある日本民藝館西館長屋門(画像:野村宏平)

 この長屋門は1880(明治13)年、栃木県国本村(現・宇都宮市)に建てられたものですが、大谷(おおや)石で造られた瓦屋根にほれ込んだ柳が1934年に購入し、現在地へ移築しました。1936(昭和11)年にオープンした本館は、長屋門の意匠に合わせる形で柳自身が設計したものです。

 和洋折衷の建造物として知られる山本亭(葛飾区柴又)にも長屋門があります。

 山本亭の建物が最初に建てられた時期は不明ですが、1923(大正12)年の関東大震災後、カメラ部品を製造していた山本工場の創立者・山本栄之助の住居となり、昭和初期までに増改築を重ねて、現在の姿になったといいます。

 長屋門は小型ながら洋風の意匠が取り入れられ、武家屋敷門とも農家型長屋門とも異なる独特の趣を持っています。1988年に葛飾区の所有になり、1991年から一般公開されています。

まだまだある長屋門

 長屋門の維持管理には費用がかかるため、老朽化したまま放置されたり、やむなく取り壊しになったりすることも少なくありません。しかし、山本亭のように公共団体や公益財団法人が所有することによって修復・保存されるケースも増えています。

江戸川区春江町の一之江名主屋敷長屋門(画像:野村宏平)



 都内ではほかにも、

・一之江名主屋敷(江戸川区春江町)
・都市農業公園(足立区鹿浜)
・杉並区立郷土博物館(杉並区大宮)
・深沢2丁目広場(世田谷区深沢)
・次太夫堀公園民家園(同区喜多見)
・江戸東京たてもの園(小金井市桜町)
・むいから民家園(狛江市元和泉)
・郷土の森博物館(府中市南町)
・農業ふれあい公園(武蔵野市関前)
・旧吉岡家住宅(東大和市清水)
・羽村市郷土博物館(羽村市羽)

などで長屋門が一般公開されています。

 今回は東京にある長屋門の一部を紹介しましたが、歴史的価値の高い長屋門は日本各地にまだまだ残っているので、探してみてはいかがでしょうか。

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