豊島区「トキワ荘」が決して有名漫画家だけのものじゃない理由
2021年6月5日
ライフマンガミュージアムのオープンで再び注目されるトキワ荘。そんなトキワ荘に、かつて特異な漫画家がいました。その人物の名は森安なおや。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。
「森安なおや」という気になる存在
締め切りに追われて漫画を描くことに疑問を覚えて去っていった坂本三郎、広がっていく漫画文化が自身の理想から変わっていくことにあらがい、去るしかなくなった寺田ヒロオなどです。そんななか、どうしても目が離せないのが森安なおやです。

なにしろ『まんが道』に描かれる様子だけでも、森安がコミカルな奇人であることがわかります。「原稿料が入った」と仕立てた背広を自慢した揚げ句、ラーメンの代金を他人に払わせたり、昼食用にと取っておいたパンを食べてしまったりなどなど……。
当時の漫画家の多くが実名で登場するなか、森安は一時期、『愛…しりそめし頃に…』で風森やすじと名前を変えて描かれたことから、さまざまな余談を生み、最後は浮かばれないままに孤独死したということだけが、まことしやかに伝えられてきました。
「お金があったら食い物」だった森安
そんな森安の人生が明らかになったのは、2010(平成22)年に出版された伊吹隼人さんによる評伝『「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝』(社会評論社)が出版されてからです。

森安は奇矯な振る舞いの一方、非常に繊細な人物でした。漫画文化の台頭期で、次々と雑誌が生まれ、描き手も求められていた時代にあって、森安は早すぎた天才でした。
多くの漫画家が締め切りに追われながら必死に作品を描き上げていくことに没頭していたのに対して、森安は
「お金があったら、取りあえず食い物、それから遊び」
を信条とし、描きたい気分にならないと描こうとしなかったのです。生活に困っていることを見かねた編集者が仕事を依頼しても、気分が乗らなかったら描かなかったといいますから、徹底した芸術家肌だったのです。
現代であれば極めて寡作な漫画家として評価されたのでしょうが、漫画文化が右肩上がりに拡大していく時代にあって、森安のような存在はあまりにも異質でした。
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