お魚イメージが強い「築地」 実はかつて海軍で栄えた土地だった!

一般的に「築地 = 魚の街」ですが、かつてはそうではありませんでした。代わりにあったのは海軍関連施設。フリーライターの大居候さんが解説します。


海軍省も一時設置

 そんな築地ですが、これらを統括する海軍省も築地に一時置かれていました。海軍省は1872年に兵部省から分離して設置されましたが、庁舎は1882年に芝に移転するまで築地に置かれていました。

 その時期、前述の浴恩園の築山に海軍卿旗が掲げられ、「旗山」と呼ばれていました。この山は築地市場があった頃、水神社遥拝(ようはい)所となっていた山です。築地市場があった頃には、自由に参拝できましたが、移転にあたって水神社も遷座したので、今は見学することはできません。傍らにあった「旗山」と書かれた石碑とともに、どのように保存されていくのか気になるところです。

水神社遥拝所(画像:(C)Google)

 実は、現状を確認しようと市場跡地の外から見てみたのですが、確認できませんでした。まさか、なくなってはいないと思いますが……。

 なお地域の歴史に詳しい人に聞いたところ、水神社の築山は別のところにあったものを移動させて作り直したという真偽不明の情報もあるようです。

謎の「八紘一宇の碑」

 謎も含んだ日本海軍発祥の地である築地ですが、そのほかにも晴海通り沿いには「八紘(はっこう)一宇」と記された碑があります。「八紘一宇」は太平洋戦争中に広く使われたスローガンです。

八紘一宇の碑(画像:大居候)

 碑文を見ると1940(昭和15)年頃に地元の青年団によって建立されたことがわかります。ただ、どういう経緯で建立され現在まで残っているのかはわかりません。

 同様の碑は皇紀(神武天皇即位起源)2600年を記念して全国各地で建立されましたが、太平洋戦争後には多くが撤去されました。そうしたなか、この碑が残ったのはどういう経緯だったのでしょうか。

今なお多くの謎が眠る築地

 中央区の郷土史を詳細に掲載している「中央区観光協会特派員ブログ」でも海軍との関連性を指摘しています。中央区の郷土史に詳しい人に尋ねてみたところ「あのブログでわからないと書いているなら、本当にわからない」とのこと。

 ただ1947(昭和22)年頃の航空写真を見ると、八紘一宇の碑のすぐ近くは橋と川です。今は路傍にポツンと建っている碑ですが、かつては橋のたもとに目立つようにあったのかもしれません。

1947年頃の築地の航空写真(左)と現在の航空写真。カーソルの位置に八紘一宇の碑がある(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 明治以来の百数十年の間に海軍から魚河岸へと多彩な歴史を刻んできた築地。またまだ謎はいっぱい眠っているようです。


【画像】明治初期、海軍省があった頃の築地

画像ギャラリー

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