コロナ「唐揚げバトル」に江戸創業の鳥料理店が参戦! 人形町「玉ひで」はなぜ専門店をオープンしたのか

  • グルメ
  • 中づり掲載特集
  • 人形町駅
コロナ「唐揚げバトル」に江戸創業の鳥料理店が参戦! 人形町「玉ひで」はなぜ専門店をオープンしたのか

\ この記事を書いた人 /

アーバンライフ東京編集部のプロフィール画像

アーバンライフ東京編集部

編集部

ライターページへ

コロナ禍で一気に加熱した「唐揚げ専門店」市場。そこに名乗りを上げたのが、日本橋人形町で261年の歴史を誇る鳥料理店「玉ひで」です。超老舗店が、なぜ今――? 8代目店主・山田耕之亮さんに話を聞きました。

アメリカ建国より古い超老舗店

 2020年からの新型コロナウイルス禍で急速に拡大した国内の唐揚げ市場。スーパーやコンビニの総菜コーナーはもちろん、唐揚げ専門店が全国で次々にオープンしました。

 多くはテイクアウト専門のため、数坪ほどの小さな店舗とフライヤー、冷蔵庫があれば開業でき、初期費用も一般的な飲食店の3分の1程度に抑えられるという手軽さが拡大の背景にはあるようです。

 報道によると、2021年4月時点でその数は3000軒超。この3年で2倍以上に増えているというから驚きです(FNNプライムオンライン、2021年5月24日配信)。

 安くて、早くて、うまい。おかずにもおやつにも、おつまみにもなる。すっかりファストフードの“新チャンピオン”に躍り出た感のある唐揚げですが、そんなコロナ禍の「唐揚げ戦線」に中央区日本橋人形町の老舗店が名乗りを上げました。

 創業は江戸中期の1760(宝暦10)年。アメリカ合衆国(1776年建国)よりも長い歴史を持つ「玉ひで」。国内のグルメ雑誌や海外有名メディアがこぞって取り上げる有名鳥料理店です。

創業261年。超老舗の鶏料理店「玉ひで」が唐揚げ専門店をオープン。その理由は?(画像:三浦伸一)



 その玉ひで8代目店主・山田耕之亮さんが監修した唐揚げテイクアウト専門店「からっ鳥(からっと)」が、2020年12月、同じく日本橋人形町にオープンしました。

 他店とは一線も二線も画す超老舗が、このタイミングで唐揚げ専門店を手掛けた理由は何なのか? 大胆とも思える“事業拡大”の舞台裏を訪ねました。

創業者は徳川幕府に仕えた鷹匠

 2021年5月中旬の昼どき、緊急事態宣言下の東京・日本橋人形町は普段と比べて人通りもまばら。その一角に、客たちが間隔を取りながらも長い行列を成す人気店「玉ひで」はありました。

 徳川幕府に仕えていた鷹匠(たかじょう)の創業者が、副業に軍鶏(しゃも)鍋店を構えて以来、ことしで創業261年。親子丼の発祥で知られ、渋沢栄一(1840―1931年)や谷崎潤一郎(1886―1965年)など数々の著名人が愛した“一子相伝”秘伝の味を守り抜く老舗中の老舗です。

 昼のメニューは親子丼が1800円~2800円(税込み)、夜のコースは7800円~と庶民にはやや高級な値段ですが、国内はもとより世界中からその味を求めて訪れる客が絶えません。

ランチ営業後の玉ひで。開店中は長い行列ができる(画像:三浦伸一)



 料理の主役となる鶏肉は「東京軍鶏(しゃも)」。

 もともと闘鶏(とうけい)用として育てられた軍鶏はアミノ酸を多く含む筋肉が発達しているため、うまみも歯ごたえも別格。明治期以降に闘鶏が廃れて飼育頭数が激減した中、1970年代、先代(7代目)が東京都の研究開発に協力する形で誕生した希少種です。

 親子丼、鳥すき、鳥つくね、天ぷら。さまざまな鶏料理を店舗で提供してきた玉ひでが、初めて唐揚げを手掛けたのは今から9年前の2012年8月。東京駅に隣接する大丸東京店(千代田区丸の内1)地下1階食品フロアのリニューアルに併せて、創業以来初となる別業態、総菜店「からっ鳥」を出店したのが始まりです。

世間の唐揚げに対する疑問提起

「それまで世の中で売られていた唐揚げは、濃いめのスパイスで味付けしたものばかり。鶏肉本来の味わいではなく、いわばスパイスの味を食べるものでした」

 8代目・山田耕之亮さんは語ります。

 鳥料理店の看板を200数十年守り続けた老舗だからこそ、既存の唐揚げに一石を投じたい――。試行のすえ選んだ調理法は、厳選した鶏肉に最小限の衣をまとわせて、一度フライヤーで揚げた後、さらにスチームコンベクションと呼ばれる加熱機器で蒸し焼きにするというもの。

「ごく薄い衣に、味付けも塩をほんの少しだけです。唐揚げの調理法は『2度揚げ』が一般的ですが、厚い衣で2度も揚げると油を吸い過ぎてハイカロリーになってしまうし、本来の肉汁の味を邪魔してしまう。鶏そのものの味を堪能していただくには、この方法が一番だと考えました」

一般的な唐揚げの作り方とは異なる「からっ鳥」の唐揚げ。鶏肉のうまみがダイレクトに感じられる(画像:三浦伸一)



 山田さんいわく、大丸東京店の食品フロアで「からっ鳥」は最もリピーターの多い店。

 今まで食べてきた唐揚げと全然違う。すごくおいしい。もうここのしか食べられない――。そんな利用客たちの声に、山田さんはあらためて「本当においしい鶏の唐揚げ」を、ひいては「本当においしい鶏肉」を、より多くの人に知ってもらいたいとの思いをいっそう強くしました。

ファストフード店とどう差別化?

 山田さんの考える本当においしい鶏肉、それは前述の「東京軍鶏」をはじめとする希少な国産鶏。

「今、市場に流通する99%は外国鶏種のブロイラーです。もちろんそれらもおいしいし、スパイスで味付けされた有名チェーンのフライドチキンを私もおいしいと感じます。ただ、日本人は江戸・明治・大正の間ずっと(国産の)高品質の鶏肉を食べていた。その頃の良さをもう一度広めてみたいと考えたのです」

「からっ鳥」単独店舗のオープンに向けて動き出したのが2017年。鳥料理への思いを一(いつ)にする金子人士さんと仕事を通じて知り合い、フランチャイズ(FC)の運営を任せることに。そして2020年12月に日本橋人形町店が、2021年3月には門前仲町店がオープンしました。

「玉ひで」と同じ通りにオープンした「からっ鳥」日本橋人形町店(画像:三浦伸一)



 当初は2020年春の開業を予定していた日本橋人形町店。結果的に半年以上もずれ込むことになりました。多分に漏れず「からっ鳥」も、新型コロナ禍の影響を受けた飲食店のひとつです。

 そしてくしくもその間に、世間には唐揚げのテイクアウト専門店が続々と登場しました。

 そうした、いわゆるファストフード的な唐揚げと、素材と味をつき詰めた「からっ鳥」の唐揚げ。山田さんは、両者の違いをどのように利用客に伝えていく考えなのでしょうか。

「長く続けていくことが証明」

「戦略的にあれこれと策を練るよりも、うちは今まで通り『良いものを実直に提供していく』やり方で努めてまいりたいと思っています。(玉ひでは)200年以上経っても1店舗だけですが、それでも今も東京に残っている最も古い鳥料理店です。結局、長く続けていくことが証明になるのだというのが私の考えです」(山田さん)

鳥料理への思いを語る「玉ひで」8代目・山田耕之亮さん(画像:三浦伸一)



 目先の利益ではなく、50年、100年先の店の在りようを考えながら経営すること。創業以来261年の歴史においては、コロナ禍もまた先代たちが数知れず経験してきた厄災の中のひとつなのだと山田さんは言います。

「明治維新のときなんて、今回(コロナ禍)の比ではなかったでしょう。何せ(鷹匠だった創業者は)徳川のお抱えだったのですから、維新改革によって命を取られていたかもしれなかった。それから関東大震災、そして第2次世界大戦……。長く続けるというのはつまり、さまざまな災難を超えていくということです」

 他の唐揚げ専門店と同様「からっ鳥」もFC加盟店の募集を行っていますが、急速な拡大ではなく、鳥料理に対する思いに賛同する人をじっくり募っていきたいというのが山田さんの考え。FC店を束ねる金子さんも隣で大きくうなずきました。

 1998(平成10)年、37歳で8代目を継いで以来、心に留めている理念は「変わらないように、変えていく」。店の伝統を踏襲していくことも必要、自分自身が思い描く鳥料理店の姿を実現していくことも必要。

「9代目になる息子にも、私のやり方を押し付けるつもりはありません」と笑います。

バラエティー豊かな唐揚げ、食べ比べも

 コロナ禍で、より身近な存在となった料理のひとつ、唐揚げ。その味は店ごとに千差万別です。

 日本唐揚協会によると、自宅での食事の機会が増えた2020年以降は、ご飯のお供にもぴったりの「出汁ベース」の唐揚げを扱う店が増えてきているのだとか。

 最新のグルメトレンドを押さえたチェーン店あり、261年の伝統を持つ鳥料理店あり。それぞれの味を食べ比べながら、唐揚げの奥深さをあらためて感じてみるのも面白いかもしれません。

関連記事