よくある農村だった「蒲田」を繁華街に大変身させたのは「ショウブの花」だった!

大田区の中心地・蒲田。かつては農村だった蒲田の都市化に貢献したのが、1903年にオープンした蒲田菖蒲園です。その歴史について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


イギリス人に人気だったユリ

 幕末期、開国した日本には外国人が多く訪れるようになります。来日する外国人の目的はさまざまでしたが、貿易を目的に来日した商人は少なくありませんでした。

 特に産業革命によって覇権国家になったイギリスは、世界各国の珍しいものを買い集めました。イギリスは日本にも足を運ぶようになりましたが、特にバイヤーの興味が高かった珍品が植物でした。

 遠いイギリスから植物を求める商人、いわゆるプラントハンターと呼ばれるバイヤーが日本の植物を購入し、それを本国へと持ち帰って販売する。日本の植物のなかでも、外国人から1番人気だったのはユリです。

 ユリ人気に着目した鈴木卯(う)兵衛は横浜・東京・埼玉の植木職人に呼びかけて、植物を海外へと販売する専門商社を設立。これが横浜植木です。

横浜植木のウェブサイト(画像:横浜植木)




 横浜植木は、すぐにサンフランシスコ支店を開設するほどに事業規模を拡大します。そして、その後はニューヨーク支店、さらにロンドン支店をオープンさせるなど順調に海外への販路を広げていきました。

蒲田にできた菖蒲園

 こうして日本国内で栽培されていたユリやユリの球根は、海外でも評判を高めていきます。横浜植木はユリ貿易に満足することなく、次なるヒット商品を模索しました。そこで、ショウブに着目するのです。

 1897(明治30)年、横浜植木は磯子菖蒲園を開設。同園でショウブの研究や栽培が進められました。しかし、敷地が手狭だったことから、横浜植木はショウブ生産の新天地を蒲田へと求めます。

 現在の蒲田は大田区の中心地でもあり、多くの店が軒を連ねる繁華街です。しかし、当時は農村然とした地域でした。そのため、菖蒲園を開設できる広大な敷地があったのです。

1906(明治39)年測図の蒲田周辺の地図。「菖蒲園」の記載がある(画像:国土地理院)

 1903年、横浜植木は広大な蒲田菖蒲園をオープン。蒲田菖蒲園の広さは資料によってバラつきがあり、約1万坪(約3万3000平方メートル)とするものや約3万坪とするものもあります。いずれにしても、蒲田に広大な菖蒲園が誕生したことは間違いなく、それはたちまち評判を呼んで東京・横浜一円から多くの見物客が訪れる名所になったのです。

東海道本線の駅も解説


【画像】蒲田菖蒲園の跡地

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