関東大震災の復興を支えた多摩川「砂利鉄道」と今も残る「砂利穴」とは

かつての多摩川流域で巨大産業だった砂利採取。この砂利の運搬に使われたのが鉄道路線でした。その歴史について、フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。


現在も残る「砂利穴」

 それでも砂利採取は終わりませんでした。もともと暴れ川だった多摩川は河道の変遷が幾度もあり、現在は陸地になっているところにも砂利が滞積していました。そのため、河川での砂利採取が禁止されてからは、陸地で砂利を掘る陸堀が盛んになっていきます。

 こうして陸堀と禁止地域外での採掘は続きましたが、次第に採掘ができる範囲は狭まっていきます。残された鉄道の周辺では宅地化が進み、かつての砂利鉄道は通勤路線へと姿を変えていきました。

 大規模な採掘が行われた多摩川では、あちこちに採掘後放置された「砂利穴」がありました。水がたまった砂利穴は子供の遊び場となり夏になるとプール代わりに使われました。

 この砂利穴は現在も姿を変えて残っています。多摩川競艇場(府中市是政)はもともと、巨大な砂利穴でした。また等々力緑地には砂利穴が現存しています。等々力緑地は川での採掘禁止を受けた東京横浜電鉄(東急電鉄の前身のひとつ)が、陸堀のために買収した「新丸子採取場」でした。

1947年頃の現・等々力緑地の航空写真(画像:国土地理院)

 ここでの採掘は1940(昭和15)年に終わりましたが、残された巨大な穴に湧き水がたまり七つの池ができました。これは「東横池」と通称されていましたが、戦後にはコイやフナが放流され「東横水郷」の名で釣り堀として利用されました。等々力緑地の日本庭園の池や、釣り堀は、この池を利用したものです。


【地図】明治初期の宿河原砂利採取線付近

画像ギャラリー

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