生き別れの妹に会いたい――東京でひとり願い続けて、突然姿を消した孤独な男性会社員の話

華やかできらびやかな街というイメージが強い東京。しかし、大通りから1本路地に入れば、そこには昔懐かしい住宅地が広がり、名も知らぬ人々がそれぞれの人生を生きています。今回紹介するのは、異国に暮らす生き別れの妹を思う男性の話です。


異国で成功を収めた者と、収められなかった者

 筆者の友人に、農業機械メーカーに勤める男性がいます。

 彼によると、出張でブラジルを訪れるたび感じるのは、多くの日系人が大農場での品種改良や工場の経営、貿易などに携わり、現地の人々からも厚く尊敬をされているということ。

 移民政策当時の、コーヒー農園で過酷な環境に耐える移民労働者というイメージはもはや面影もないとのこと。日本人の誠実さ、有能さに対する評価は、地球の裏側でも定着しているというのです。110年以上にわたり先人たちが積み重ねた苦難と努力の賜物なのでしょう。

 もちろん全ての日系移民が成功を収められたわけではありません。祖国を離れ、生活に暗い影を落とす人もいました。ヤマグチさんはおそらく、後者のうちのひとりでした。

妹と生き別れ、ひとり東京で働き続けた何十年

 ヤマグチさんは二十歳を過ぎた頃、東京へやってきました。自分の「根っこ」となるのは、生まれ育った日本だと感じたからです。

 ブラジルに残った妹とは生き別れになります。現地に頼りにできる人はおらず、途中、住所を書いたメモを無くしてしまい、連絡の取りようがなくなってしまったのです。

 ヤマグチさんは建設関係の仕事や、運送会社、タクシー会社、造園会社と、世田谷区や大田区で職を転々としました。

 人付き合いは苦手ですが、どこの職場でも仕事ぶりは真面目。きれい好きで、仕事の後片づけを他人の分まで念入りにしていた姿を、かつての同僚たちが目撃しています。20代の頃は日系ブラジル人社会での付き合いもそこそこあったようですが、彼自身が多くは語らなかったため、詳しいことは分かりません。

 過去に何度か、ブラジルへ赴いて妹を探しましたが、どうしても見つからない。現地の新聞にお尋ね記事を掲載し、公的機関にも依頼しましたが、手掛かりはつかめないままでした。

「10日ばかり休みたい」。そう言い残して彼は


【画像】過酷な運命、ブラジル移民たち(5枚)

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