北新宿の「裏路地コンビニ」で、泣きじゃくる男の子にそっとケーキを差し出した女性店員の話

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北新宿の「裏路地コンビニ」で、泣きじゃくる男の子にそっとケーキを差し出した女性店員の話

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佐藤栄一

東京裏路地ウォッチャー

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華やかできらびやかな街というイメージが強い東京。しかし、大通りから1本路地に入れば、そこには昔懐かしい住宅地が広がり、名も知らぬ人々がそれぞれの人生を生きています。今回紹介するのは、北新宿にあったコンビニで働いていた60代女性の話です。

住宅地のコンビニで働いていた「母さん」

 きらびやかなばかりが東京ではない――。都心のふとした片隅に突如現れる、昭和のまま取り残されたような異空間。そこにもまた名も知らぬ人々が暮らし、大切な今日をひたむきに生きていました。

※ ※ ※

 もう20数年も前、私が親しみを込めて「母さん」と呼んでいた、どこかワケあり風な女性がいました。当時、北新宿の外れにあったコンビニで店員をしていました。母さんの本名は分かりません。

北新宿のコンビニにいた女性は、当時70歳手前くらい。小柄で、女優の中村珠緒さんに少し似ていた(画像:写真AC)



 職安通りの先、税務所通りを突き当たってさらに奥へ進むとその店はあって、近年ここらあたりは再開発が進み、すでに景色は一変しています。かつては道幅も狭く、生活感が漂う住宅地でした。

 女性の年の頃は60と7、8歳くらいで、少し薄くなった髪を後ろに束ね、おたふくのような笑い顔が特徴の、口紅が妙に赤いという出で立ちです。

 しいて言えば俳優の勝新太郎の奥さん、女優の中村玉緒さんに似ていました。小柄なせいか、人の顔を仰ぎ見るように話しかける癖がありました。

 場所が歌舞伎町からも近いので、ここらには水商売関係の人たちも暮していました。「夜の蝶」と呼ばれる女性たち。その子どもらが当時、10円20円を握りしめて、店の中を1時間も2時間もブラブラするのをよく見かけました。

泣きわめく男の子 「ボク、いい子だねー」

 母さんはその子たちに「これあげる」と言って、売れ残りのパンを何でもない風にポイと渡していました。そんな光景に出くわした私は、都会の片隅に残る、どこか懐かしさを覚える「人情」を垣間見たように感じたものです。

20数年前の北新宿は、時間をつぶしためコンビニに長居する子どももいた(画像:写真AC)



 母さんにまつわるエピソードはほかにもあって、近くのマンションに港区赤坂で飲食店を経営する夫婦が住んでいました。50がらみの夫は、私とサウナでたまたま知り合った友人。一見すると格闘技でもやっていそうな体格です。

 妻は若い韓国人女性。男の子がひとりいます。

 その夫婦がしょっちゅうけんかをするのは近所でも有名で、5歳くらいの息子はそのたび驚いて「ギャー」と悲鳴のように泣き声を上げます。警察に通報されたことも何度もありますが、夫婦はなかなか懲りないようでした。

 男の子の息抜きは、母さんに会いにコンビニへ行くことでした。

 母さんはそんな家庭環境を気の毒に思ってか、

「ボク、今日はパンじゃなくて、売れ残りのケーキをあげる。おいしいよ、またおばさんのとこにおいでね」

と小さい頭をなぜる。「ボク、いい子だねー」。

10年後に訪れたとき、母さんはいなかった

 あの男の子がどんな表情でケーキを受け取っていたのか、少しは笑顔が戻ったのか、それでも涙は止まらなかったのか、いつも店内の少し離れたところで見ていた私には分かりません。

 母さんはそんな男の子の頭を、いつもそっとなぜました。彼も今はおそらく30歳を超えて、立派な大人になっているのでしょう。

 それから10年ほど経って、久しぶりにあのコンビニに立ち寄ったとき、母さんの姿は見当たりませんでした。

10年後、コンビニはまだあったが、母さんの姿はすでに無かった(画像:写真AC)



 店長らしき人に「あの愛嬌のいい女性、どこ行ったの?」と聞くと、「あー、もう年取っているから辞めてもらったよ」のひと言。そしてそのまま、再び商品棚の整理に戻っていってしまいました。

 10年のうちに店の客もすっかり入れ替わり、夫婦げんかが絶えなかったあの男性も見かけません。母さんのその後を知る手立ては無くなってしまいました。

母さんがそっと耳打ちしてくれたこと

 余談ですが、そのコンビニにはかつて、いくつもの歴史小説を書いて名をはせた著名な作家の妻が、ときどき買い物に来ていました。作家は当時すでに亡く、残された妻は近くにひとりで暮らしていたようです。

 彼女が高名な作家の妻であるとの情報をどこで仕入れたのか、母さんは、作家の大ファンである私にそっと耳打ちして教えてくれました。

 2021年の今なら個人情報保護の観点から眉をひそめる人もいるかもしれませんが、当時はもう少しのんびりした時代でした。

母さんはいなくなり、街は変わっていった

 それを知った私はいてもたってもいられず、あるときたった一度だけ、妻というその女性に店内で声を掛けてしまいました。

「あのう、突然ごめんなさい。××さんですよね。ご主人の小説を読みました。あの作品が本当に大好きで」

 その女性はびっくりしたような顔をして、

「え? 私ですけど、主人のですか? それはそれは、大変にありがとうございます」
「奥さん、あのう、お体を大切になさってください」
「私は脚が悪くて、ここに来るにもひと苦労ですよ。だんだん歩けなくなります。あなたも、どうかお元気でね」

 たったそれだけの立ち話です。女性はひとり店を後にしました。それでも私は抑えきれない高揚を感じました。

 そのときの母さんは、そしらぬ様子で別の客の会計をしていました。何も知らないふりをしてくれたのは、彼女の優しさだったのでしょう。

 そんな母さんはまるで消えたように全く見かけなり、あの作家の妻が住んでいたはずの大きく立派な邸宅も、例の再開発でいつの間にか無くなってしまいました。

※記事の内容は、個人のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。

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