北千住の神髄は「路地」だった? 老若男女を優しく包む下町の古くて新しい魅力とは

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北千住の神髄は「路地」だった? 老若男女を優しく包む下町の古くて新しい魅力とは

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たまきち川たまきち

都市文化探検隊員

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地域の歴史や文化、そこに行かないと味わえない食べ物など、東京の「地元」を再発見するまち歩きシリーズ。案内人は、都市文化探検隊員のたまきち川たまきちさんです。

路地・裏路地が魅力的な北千住

 北千住は、日比谷線から半蔵門線、千代田線、つくばエクスプレスまでアクセスできる便利な街です。今回はそんな北千住の歴史ロマンを感じながら、過去から現在までの文化が交差する風景を歩きます。

 北千住は歴史的に日光街道の宿場町として栄えた街で、

・千住宿
・板橋宿
・内藤新宿
・品川宿

を指す江戸四宿(えどししゅく)のひとつで、京都のように細長い「うなぎの寝床」や狭い路地が多く現存しています。

北千住の細い路地(画像:たまきち川たまきち)



 このような背景には江戸時代、家屋の「間口」に税金がかけられていたことがあります。間口を広く取った分だけ税金が高くなるため、住民たちはできるだけ狭くしたのです。そして路面には店、その後ろには住居、奥には蔵といったように、家屋の後ろ部分を細長くする構造を取りました。

 蔵を持つような商家は、今でいう賃貸住宅をその後ろに建てました。そのようなことから、北千住には路地が多くなったと言われています。

 そんな路地や裏路地が、現在の北千住の魅力になっています。路地を探検すれば「こんなところにこんなお店が!」と新たな発見にワクワクします。

 近年は会員制交流サイト(SNS)やインターネットで容易に情報を得られますが、そうしたものを見ずに路地を探検すると、今まで出会わなかったような楽しさが増すかもしれません。

「東京三大煮込み」の店も

 そうした路地や古い商店街には、昭和が香るディープな飲み屋街があります。

 1877(明治10)年創業で「東京三大煮込み」と言われる居酒屋「大はし」(足立区千住3)や、昭和レトロな「千住の氷見」(千住2)、「かぶら屋 北千住店」(同)など多種多様です。

人気の立ち飲み屋(画像:たまきち川たまきち)



 こうしたディープな飲み屋街もコロナ以前は多くの老若男女が集まり、特に昔ながらの居酒屋は近年の昭和レトロブームもあって、若い女性を多く見かけました。こうした空間には年齢、性別、職業などを問わない、自由で気軽な雰囲気が漂っています。それが北千住の風景のひとつになっているのです。

 ちなみに「東京三大煮込み」の残りふたつは、

・岸田屋(中央区月島)
・山利喜(江東区森下)

となっています。

足立区の文化財も散在

 裏路地には近年、しゃれた新店がオープンしています。

 ジャズライブバー「Birdland」や「喫茶 蔵」(ともに千住1)、カフェ「GRANARYS COFFEE STAND」(千住2)などで、どの建物もリノベーション済み。Birdlandには休日昼からジャズ好きが集まり、とても心地よい場所となっています。喫茶 蔵は質屋の蔵を喫茶店として再活用しており、街の新旧を体感できます。

 また、北千住には歴史的な建物も多く現存しています。

 江戸時代から名医と言われてきた名倉医院(千住5)は、現在も整形外科として存続。地すき紙問屋だった横山家住宅は江戸後期の建物で、奥行きが56間(約102m)もあり、まさに「うなぎの寝床」。足立区の民俗文化財に指定されています。さらに、吉田絵馬屋(ともに千住4)の吉田家絵馬資料は足立区の有形文化財となっています。

大橋眼科(画像:たまきち川たまきち)

 また、大橋眼科(千住3)も大正モダンを感じさせる近代建築の建物です。もともとは1917(大正6)年築の洋館でしたが、1982(昭和57)年に新築復元。その際に当時の部品を再利用したと言います。なお現在は閉業しています。

 ほかにも、駅から少し離れた千住中居町のNTT千住ビル(旧・千住郵便局電話事務室)には1枚1枚手焼きされたレンガが使用されています。この建物は日本のモダン建築の巨匠・山田守(1894~1966年)が設計した逓信建築のひとつで、あまり数が見られない貴重なものです。なお逓信建築とは、戦前の逓信省(現・総務省、国土交通省航空局など)の技師集団(官僚)が設計した建築物を指します。

 そのほかに山田氏がデザインしたものには、

・聖橋(ひじりばし。千代田区駿河台~文京区湯島)
・隅田川の永代橋(中央区新川~江東区佐賀、永代)

や、京都タワー(京都市)などがあります。

 また、江戸時代からの下村家や昭和初期の民家である板垣家など、歴史を味わえる建物が周辺に散在しています。

歴史ある銭湯も現存

 昭和レトロといえば、銭湯は外せません。

 足立区は都内でも銭湯が多く残る地域のひとつで、そのなかでもタカラ湯(千住元町)は日本庭園と縁側のある、銭湯界で屈指の存在です。場所は北千住の駅から徒歩20分ほどの路地にあり、創業は1927(昭和2)年。正面玄関の七福神の彫刻は著名な作家が制作したもので、美術的価値があります。また屋根は、宮大工たちが技術を駆使した「唐破風(からはふ)」で、中央部は凸形に、両端部は凹形の曲線状になっています。

 同じく唐破風の屋根を持つ1929年創業の大黒湯(千住寿町)も、地域の人から愛される「キングオブ銭湯」です。大黒湯には富士山のタイル絵が描かれており、昭和レトロな雰囲気が味わえます。

大国湯(画像:たまきち川たまきち)



 筆者が日曜日の16時ごろに周辺にいた際、ふたりのおばあさんたちが出てきたところに、ふたりの若者が入っていきました。その後すぐ別の男性が入っていったことからも、老若男女に愛されていることがわかります。

 駅から一番近い梅の湯(千住旭町)も唐破風の屋根で、同じく富士山のタイル絵が描かれています。こちらの創業は1927年で、前述の銭湯とは逆側の、駅東口側に立地しています。都内の銭湯は年々減少していますが、北千住の銭湯は現存しており、下町の魅力を高めています。

 最後に銭湯としては役割を終えたものの、形を残して再活用され、若者に人気の場所があります。BUoY(ブイ、千住仲町)です。ここはもともと地下に銭湯、2階にボーリング場がありました。20年以上も廃墟でしたが、現在は2階がカフェ併設のアートセンターに変貌しており、詩や建築、演劇、ダンス、音楽、映画、現代美術などの情報を発信、小劇場のネットワークを形成しています。

「おばけ煙突」の思い出

 かつての北千住には、シンボルが存在していました。それは、1926(大正15)年から1960(昭和35)年まで操業された千住火力発電所(千住桜木町)の4本の煙突です。

千住火力発電所の「おばけ煙突」(画像:足立区立郷土博物館)



 評論家の川本三郎が1990年に発表した『私の東京町歩き』(筑摩書房)によると、煙突は「おばけ煙突」の愛称で親しまれ、1958年に東京タワーができるまでは、北千住だけでなく「東京のシンボル」だったといいます。実際、当時の映画にはよく取り上げられていました。

 漫画でも、

・手塚治虫『そよかぜさん』
・藤子不二雄『オバケのQ太郎』の「Qちゃん行方不明(1966年)」
・秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の「おばけ煙突が消えた日の巻(1988年)」「希望の煙突の巻き(2004年)」

などで取り上げられています。アニメでは『ヤッターマン』の「Old Days下町の夕日だコロン!(2008年)」などがあります。

 そのほかにも、劇作家・唐十郎の戯曲『お化け煙突物語』や、スガシカオの楽曲『オバケエントツ(2016年)』など、数多くのコンテンツに登場しています。

 千住火力発電所が取り壊された当時、おばけ煙突は跡地に立った足立区立元宿小学校の滑り台として一部が再利用され、残されていました。元宿小学校は2005年に閉鎖、その跡地には帝京科学大学(千住桜木)が立地しています。

 なお大学キャンパス内には、滑り台を新たな形として変容させた『お化け煙突モニュメント』があり、誰でも見られるようになっています。

50年続く喫茶店もある

 帝京科学大学から少し歩いたところに、50年続く喫茶店「ミルクホール モカ」(千住元町)があり、店内にはおばけ煙突らしき写真が飾られています。

喫茶店「ミルクホール モカ」(画像:たまきち川たまきち)

 また同店ではコーヒーだけでなく、「喫茶店の軽食代表」であるナポリタンやクリームソーダが楽しめ、ノスタルジーに浸れます。

 東京の中でも北千住は特に、江戸からの歴史、昭和レトロ、現代性が交差する空間です。また、いろいろな人を温かく迎えてくれる人情味あふれる下町の雰囲気もあるので、コロナ禍が収束したら、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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