渋沢栄一は国民的飲料「牛乳」の普及まで関わっていた! 背景にあるエピソードとは【青天を衝け 序説】

“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。


本格化の背景にあった士族救済政策

 牛乳生産が本格化した理由は、士族授産(しぞくじゅさん)でした。

牛乳のイメージ(画像:写真AC)

 明治新政府が発足すると、それまで武士として生活を送ってきた人たちが、一斉に無職になりました。政府は失業した武士の救済策として新事業を立ち上げました。これが士族授産と呼ばれる政策です。

 政府はこれまでに新事業にこだわりました。その理由は、失業した武士が大量だったからです。

 例えば、多くの失業武士が農作業へ参入することも可能でした。しかし、それではこれまで農業で生計を立ててきた農家が割を食う可能性があります。失業武士を救済することができても、それによって農家が困窮してしまえば本末転倒です。そうした観点から、これまでにない新事業が求められたのです。

 それまで農家は農耕用に牛を飼うことが大半で、乳牛として飼育していませんでした。また、牛乳は生産だけではなく、配達で人手が必要になります。

 当時は冷蔵庫などがないので鮮度が命の牛乳はとにかく早く配達しなければならず、多くの人が手分けして配達する必要があったのです。こうした理由から、牛乳生産は既存の農家と共栄できる事業と目されました。

飯田橋駅の近くに残る記念碑

 新政府軍に最後まで抵抗した旧幕臣の榎本武揚(たけあき)は、自分を慕ってくれた旧幕臣の食いぶちを確保するために牛乳生産・配達を手がける北辰社(ほくしんしゃ)を設立。北辰社は、現在の飯田橋駅(千代田区飯田橋)の近くにありました。

飯田橋駅の近くに残る北辰社牧場跡記念碑(画像:小川裕夫)

 現在、飯田橋駅の周辺は超一等地とも言える都心ですが、当時は東京の外縁部です。いわゆる郊外のため、広大な土地が簡単に手に入りました。

 そうした立地に目を付けて牧場開設を考える人は多く、榎本のほかにも明治新政府の重鎮だった山県有朋は現在の文京区音羽のあたりに牧場を開設しています。

牛乳事業も手掛けた渋沢栄一


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