「海抜0m」「蛇行道路」に負けるな――東西線誕生の背景にあった奮闘の軌跡とは

中野駅から西船橋駅までを結ぶ首都圏の大動脈「東西線」。その開業には多くの困難がありました。フリーライターの大居候さんが解説します。


最初の難所は飯田橋付近

 最初の難所となったのは飯田橋付近です。ここは、

・外濠通り
・目白通り
・大久保通り

が交差する東京の交通の要衝です。さらに中央線・総武線とも交差しつつ国鉄の飯田橋駅と連絡しなければいけません。このときは外堀にかかる飯田橋の下を掘削して進むことで、問題を解決しました。

 その次に立ちはだかったのが、九段下から大手町までの路線計画です。地下鉄工事における最良の方法は「既存道路の下をくぐる」ですが、当時はこの間に竹橋駅を設けることも決まっており、さらに内堀通りは堀に沿って道路が蛇行しているという問題もありました。

九段下駅、竹橋駅、大手町駅の位置関係(画像:(C)Google)

 結果、竹橋~大手町は堀の内側を通すことに。しかし文化財でもある堀の内側を通すためには、宮内庁を始めとする関係省庁との交渉も必要でした。

江東区「海抜0m地帯」という最難関

 こうして進んでいった東西線の工事でもっとも困難を極めたのが、茅場町より東の、主に江東区を通る路線です。

 茅場町駅から東へ進むとまず現れるのが、隅田川という関門です。ここを越えるにあたって、「橋を建設するか」「地下を進むか」など、さまざまなプランが検討され、最終的には永代通りから永代橋の下流側を地下でくぐることになりました。

 最難関となったのが、江東区の「海抜0m地帯」です。

 ここを通ることを考慮し、隅田川の東側にある霊岸島(中央区新川)から永代橋あたりまではトンネルで勾配をつくり、峠の頂点に防水扉を設置。これは、江東区側で水害が発生した際に地下鉄を通った水がトンネルを通って都心に流れ込まないようにするためで、営団が始めて設置したものです。

霊岸島(中央区新川、赤枠内)と永代橋、江東区の位置関係(画像:(C)Google)

 現在は治水が進んで江東区は安全な土地となっていますが、当時は水害の危険もある上に、地盤は変形を生じやすいシルト層が厚く軟弱。加えて、いくつもの小河川を通過しなければならないため、難工事が予測されました。

 問題は工事だけではありません。現在の木場駅周辺は、当時まだ材木の集積地点でした。そのため、運搬船が小河川をひっきりなしに行き来しており、工事で止めるわけにはいきませんでした。

 もしも「開削工法」を取った場合は、強固な土留めをしつつ、船運を止めないように配慮。さらに、水害などがあれば工事区間に水が流れ込む恐れもあるので、その対策も必要です。

 なお、開削工法とは「両側に沿って鉄くいを打ち込み、その上にH型の鉄の桁をかけて鉄板を敷き、路面交通に支障がないようにした後、地上から掘り進む」(日本民営鉄道協会ウェブサイトより)工法です。

シールド工法で困難を突破


【画像】東西線の開通前! 都電時代「永代橋」の様子

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