話題映画『はな恋』、ふたりが選んだ「結末」に隠された本当の思いとは

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話題映画『はな恋』、ふたりが選んだ「結末」に隠された本当の思いとは

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苫とり子

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映画『花束みたいな恋をした』が話題です。東京・明大前駅で終電を逃したことから出会った麦と絹。5年間の交際をへてふたりが選んだ結末には、どのような思いが込められていたのでしょうか。フリーライターの苫とり子さんが解説します。

始まりは京王線・明大前駅

 東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことがきっかけで、運命的に出会った大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。

 甲州街道や多摩川、調布パルコ、道生神社……見たことのある景色と、スマスマ(『SMAP×SMAP』)の最終回、渋谷パルコの閉店、2014年サッカーW杯準決勝など、私たちが経験した時間とともにふたりが過ごした5年間が映し出される映画『花束みたいな恋をした』。

 2021年1月29日に公開されて以降、4週連続で映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)1位を獲得し、SNSを中心に大きな話題となっています。

公開以降、4週連続で映画観客動員ランキング1位を獲得している話題作『花束みたいな恋をした』(画像:(C)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会)



 筆者がこの映画を見終わったとき、まず浮かんだのは「見る人によって大きく感想が変わるだろうな」という感想でした。なぜなら、麦と絹は互いを“運命の人だ”と思うほどに趣味や考えが一致したことで惹かれ合っていくのですが、その趣味が少々ニッチだったからです。

 市川春子の漫画『宝石の国』、今村夏子の小説『ピクニック』、お笑いコンビ「天竺鼠」、3ピースバンド「羊文学」などなど、作中に登場したようなサブカルチャーに触れてこなかった人たちは、ふたりが共に生きていく上で抱く悩みを理解し難かったでしょう。

 けれども、麦と絹にとってそれら共通の“好きなものや人”は、自分たちを特別な人間だと思うために必要だったのです。

人とは違う自分、認めてくれる相手

 そのことがとても分かりやすく描かれているのが作品の冒頭、明大前駅で終電を逃したふたりが、同じようにして居合わせた社会人の男女と4人でカフェバーでお酒を飲むシーン。

 映画の話になり、男性はマニアックな作品として『ショーシャンクの空に』を挙げますが、麦と絹は苦虫を噛み潰したような表情を見せます。

 さらに、特別出演した巨匠・押井守監督の姿をカフェバーで見つけ、麦は“誰でも知っている”ことを前提に「神がいます、犬が好きな人ですよ」と説明し、絹も後から麦に「押井守を認知していることは広く一般常識であるべき」と語りました。

 ちょっと意地悪な言い方をすれば、ふたりはちょっと変わった趣味を持つ自分が好きなのです。

公開以降、4週連続で映画観客動員ランキング1位を獲得している話題作『花束みたいな恋をした』(画像:(C)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会)



 けれど、若いうちはみんな同じだったのではないでしょうか。「変わってるね」と言われることが、何だか褒められているような気分になったときもあったはず。本作を見て多くの人が自分の“黒歴史”を掘り起こされ、辛い、しんどいと感じた理由もそこだと思います。

 しかし、社会人になっても仕事はそこそこに時間を趣味に費やす絹に対して、麦は少しずつ変化を見せます。イラストレーターの仕事では食べていけず、最初は仕方なく始めた営業の仕事にやりがいを見出し、忙殺され、何も考えずに没頭できるスマホゲーム「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」しかプレイできない状態に。

 絹が趣味を生かせる企業に転職したいと言い出したときも、麦は「仕事は遊びじゃない」と反対。ふたりの思いは、このときからいよいよすれ違っていくのです。

それでもふたり一緒にいたかった

 けれども、映画の前半には麦と絹がどこかで壁にぶつかるであろう伏線が張られていました。

 それはまだふたりが出会ったばかりの頃、ファミレスでひとつのイヤホンを共有し、音楽を聴いていたときに知らない男性から言われた「君たち、音楽好きじゃないでしょ?」という言葉。

 なぜなら、イヤホンのLとRから流れてくる音が違うから。同じ趣味を共有し、まるで最初からふたりでひとつだと思っていたふたりは、ミイラ展に魅せられた絹を麦が本当は理解できなかったようにバラバラの存在であり、立っている場所も見ている方向も違ったのでしょう。

 それでも麦は、絹と一緒に居られるなら構わなかった。

 別れの場面で麦が絹を説得したように、燃え上がるような気持ちを失っても、共通の趣味がなくても、ぶつかりながら良きパートナーとして夫婦関係を続けている人たちだって山ほどいる。

 麦だって仕事が少し落ち着けば、また『ゴールデンカムイ』の続きを読めるかもしれない。絹も自分の新しい仕事が忙しくなれば、麦のようにパズドラを無我夢中でプレイする日が来るかもしれない。

 だけど、一筋の希望にすがろうとしたそのとき、ファミレスに出会ったばかりの自分たちによく似た若い男女がやって来ます。

枯れた花がふたたび色づくような

 彼らは初々しく、まだ顔を出したばかりの蕾(つぼみ)を大事に育むように関係性を築いていました。

 一方、麦と絹がこれまで一緒に育ててきた花束はもうすぐ枯れそうになっています。このまま水をまくように無理やり関係を続けても、花はふたたび鮮やかなその色を輝かせることはないでしょう。そのことに気づいたふたりは別れを選んだのです。

 筆者は映画を見た後、しばらくは麦と絹が別れなければいけない理由が見つかりませんでした。

 でも、本作とは関係のないシンガーソングライターの優里さんの「ドライフラワー」という楽曲を聴いて理解できたのです。この曲にはこんなフレーズがあります。

「まだ枯れない花を君に添えてさ ずっとずっとずっとずっと抱えてよ」

 生花はいつか枯れてしまうけれど、ドライフラワーにすれば少し色褪せてもその美しさを保つことができる。麦と絹が抱えた花束も恋心も、偶然映り込んだGoogleストリートビューの中で鮮やかなままでした。

公開以降、4週連続で映画観客動員ランキング1位を獲得している話題作『花束みたいな恋をした』(画像:(C)2021『花束みたいな恋をした』製作委員会)



 きっとふたりは自分たちの過ごした時間を美しい思い出として残すために、終止符を打ったのでしょう。

『花束みたいな恋をした』は観た人がそれぞれ自分の思い出と重ね、噛み締め、誰かと語りたくなる、枯れてしまった花束がふたたび色をつけるような作品です。

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