かつて水車タウンだった「目黒区」から水車が消えてしまった、マンガみたいな理由

都内でもおしゃれなイメージで知られる目黒区ですが、かつては多くの水車がある地域だったことをご存じでしょうか。その歴史について、フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。


精米からガラス磨きまで使われた水車

 水車は、水車跡の説明板がある目黒川沿いにも多く設置されました。目黒川は三田用水と違って流水も豊富です。

 しかも市街地に近いため、加工品をすぐに出荷できるというメリットがありました。この頃の水車は直径4尺(約120cm)で、きねは大きいもので数十本も備えていたそうです。

 こうして目黒区は明治期、水車を使った工業化が進展。精米や製粉から、たばこ製造やガラス磨きまで水車が使われるようになったのです。

目黒区内にあった水車場の分布図(画像:目黒区)

 1895(明治28)年の三田用水普通水利組合の歳入予算を見ると、かんがい用水の使用料は全体の3割程度。残りのうち5割は雑収入となっています。普通水利組合とはかんがい・排水のための諸施設の維持管理を行う組合で、雑収入とは火薬製造所・日本麦酒などの工場から得られる使用料を指します。

 このことから、三田用水や目黒川沿いはかなり早い段階で近代的な工業化が進んでいたことがわかります。もっとも、目黒区域でもほかの地域は農村部が広がっており、昔ながらの水車を用いた精米や製粉が行われていたようです。

 結局、目黒区区域の水車は電力による精米機が現れたことや、目黒川の改修工事によって姿を消していきました。

姿を消したもうひとつの理由

 分布図の最も下に記載された呑川(のみかわ)では、かなり後の時代まで水車が使われていたようですが、ある驚きの一件で水車がなくなってしまったと言います。

 資料『目黒の近代史を古老にきく』(目黒区守屋教育会館、1982年)によると、衾村(ふすまむら、現在の環七通りの南側全域)で代々名主をつとめた岡田家の岡田衛さんは、こんなことを語っています。

 当時の野見川(呑川)には3か所の水車があり、そのなかに泥堰と呼ばれるものがありました。これを緑が丘(目黒区)のKさんが使っているときに竜巻が来て、水車小は吹き飛ばされてしまったそうです。Kさんは竹につかまってなんとか助かりましたが、田んぼには水車の2本の芯棒が突き刺さっているだけになり、それが原因となって水車を止めたのこと。

竜巻のイメージ(画像:写真AC)

 今はおしゃれなイメージのある目黒区ですが、そのようなまるで漫画のような災害があったとは驚くばかりです。


【画像】「水車跡」の説明板を見る

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