エレカシからハイロウズまで 吉祥寺「井の頭公園」が多くの歌の舞台となってきたワケ

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エレカシからハイロウズまで 吉祥寺「井の頭公園」が多くの歌の舞台となってきたワケ

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大石始

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これまでさまざまな歌の舞台ともなってきた「井の頭公園」。その理由について、ライター・エディターの大石始さんが解説します。

日本で最初の郊外公園

『ろくでなしBLUES』や『グーグーだって猫である』『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』など、さまざまな作品の舞台となってきた東京・吉祥寺。この町の象徴でもある井の頭恩賜公園(通称・井の頭公園。武蔵野市、三鷹市)は、1917(大正6)年に日本で最初の郊外公園として開園しました。

 この公園は周辺住民の憩いの場として長年親しまれる一方で、さまざまな歌の舞台ともなってきました。

東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる井の頭恩賜公園(画像:写真AC)



 今回は井の頭公園をテーマにした新旧の名曲を紹介しながら、なぜ井の頭公園がそうした歌の舞台になってきたか考えてみたいと思います。

多くの文豪が暮らした吉祥寺

 井の頭公園を題材とする最古の歌と思われるのが、1935(昭和10)年に発表された「井の頭音頭」です。作曲・森義八郎、編曲・服部良一、歌・榎本美佐江。

 作詞を手がけた詩人・童謡作家の野口雨情は、1924年にそれまで暮らしていた西巣鴨から吉祥寺に移り住み、数多くの童謡や新民謡を書き上げることになります。そのなかのひとつが「井の頭音頭」でした。

 当時、雨情は井の頭公園を散歩することを日課としていたそうで、「広い東京の、見晴らし所 ここは公園 井の頭よ/池に浮き草浮いてはいるが、いくら眺めても根は切れぬ」と歌われる「井の頭音頭」は、雨情のそうした日常から生まれ落ちたものでした。

 雑木林が点在する武蔵野の風景を色濃く残していた時代の吉祥寺~三鷹には、多くの文豪が暮らしていました。

 武者小路実篤や山本有三、太宰治など挙げていけばキリがありませんが、三木露風などの童謡作家もこの地に住みながら数多くの作品を残しました。

井の頭公園内にある中田喜直歌碑(画像:(C)Google)

 1955年に作られた童謡「ちいさい秋みつけた」もまた、作曲家の中田喜直(よしなお)が井の頭公園を散策しているときに思い浮かんだとされています。井の頭公園の一角には、そのことを伝える記念歌碑が建てられています。

井の頭公園にまつわる数多くの名曲

 時計の針を昭和30年代から現代へと進めてみましょう。

井の頭公園というと『吉祥寺の朝日奈くん』や『火花』など、吉祥寺を舞台とする映画の主題歌や挿入歌として使われてきた斉藤和義「空に星が綺麗」(1996年)を思い起こす人も多いのではないでしょうか。

 21歳で上京した彼は吉祥寺の安アパートに住み、井の頭公園のベンチに座って曲作りをしていたといいます。「口笛吹いて歩こう/肩落としてる友よ/いろんな事があるけど 空には星が綺麗/懐かしいあの公園にちょっと行ってみようか」と歌われるこの歌は、当時のことがモチーフになっています。

 また、ファンからも非常に人気が高いのがエレファントカシマシの「リッスントゥザミュージック」(2008年)です。この曲は別れの気配と未来への不安を井の頭公園の風景とともに描き出した名曲。聖地巡礼のため井の頭公園へやってくる熱心なエレカシファンも少なくないといいます。

「リッスントゥザミュージック」を収録したエレファントカシマシのアルバム「STARTING OVER」(画像:ユニバーサルミュージック)



 そのほかにもザ・ハイロウズの「完璧な一日」、さかいゆうの「井の頭公園」、D.W.ニコルズの「いいのかしら」など、90年代以降、井の頭公園は数多くの楽曲でモチーフとなってきました。

 では、なぜ井の頭公園はそのようにさまざまな歌の舞台となってきたのでしょうか。

 ひとつのポイントが、多くの歌に別れの情景が描かれている点です。ここまでに挙げた楽曲のみならず、indigo la Endの「忘れて花束」など井の頭公園で撮影されたビデオクリップは少なくありませんが、その多くに出会いと別れのシーンが登場します。

ノスタルジーとともに過去の恋愛を振り返る場所

 現在でも吉祥寺駅周辺は住民や観光客で大変にぎやかですが、ひとたび井の頭公園に足を踏み入れてしまえば、そこは駅周辺とは異なる穏やかな空気が流れています。

 かつてはそうした環境を求めて多くの文豪や詩人が周辺地域へ移り住んだわけですが、それと同時に恋人たちが愛を語らうデートスポットであり、生き方に悩む若者が思索にふける場所でもありました。

 そうした環境ゆえに、井の頭公園は過ぎ去った愛をノスタルジーとともに振り返る地となってきたのでしょう。

 また、井の頭公園の中心となる井の頭池は、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれるなど、江戸時代から有名な景勝地でもありました。都心からも近い観光地であり、その意味では普段の暮らし(日常)と観光地(非日常)の要素が少しだけ混ざり合う場所でもありました。それゆえにドラマが生まれやすい地でもあったのです。

歌川広重「井の頭の池弁天の社」。1856(安政3)年刊(画像:東京都立図書館)



 もうひとついえば、吉祥寺は1950年代から音楽濃度の濃い街でもありました。70年代は「ぐゎらん堂」を中心とするフォークのシーンがあり、70年代初期の一時期は裸のラリーズなどが出演していた伝説的なライブハウス「OZ」がありました。

 現在でもいくつかのライブハウスやDJバーが営業しており、吉祥寺近辺に住むミュージシャンは少なくありません。その点においても井の頭公園はミュージシャンにとってなじみ深い場所であり続けているのです。

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