新宿区「大久保」の名前の由来を知ってる? 駅周辺は平地なのに、なぜ「くぼ」なのか【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(10)

国際色豊かな新宿・大久保。このエリアの地名の由来について、都内探検家の業平橋渉さんが解説します。


窪地の痕跡はどこにあるのか

 駅の歴史を見ると、甲部鉄道の大久保駅は1895(明治28)年に、新大久保駅は1914(大正3)年に開業しています。

 現在の地名が百人町にもかかわらず大久保を冠した駅名が付けられたのは、駅開業前の1889年に南豊島郡大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併し、大久保村が誕生していたからです。

明治初期の旧版地図。まだ東大久保村・西大久保村が残る。手のカーソル位置が現在の新大久保駅(画像:国土地理院)

 この大久保村は現在の大久保1~3丁目はもちろんのこと、百人町1~4丁目、新宿5~6丁目を含んでいました。現在の大久保はかつて西大久保と呼ばれていたエリアで、新宿5~6丁目は東大久保と呼ばれていました。

 このことから、現在の大久保と呼ばれる範囲が昔と比べて大幅に縮小したことがわかります。

 ということで、当時は明治通りを越えた東側まで大久保だったということになると、窪地の地形に由来して、地名がついた可能性も納得ができそうです。なぜなら、明治通りを越えると新宿区ならではの台地がおりなす坂道があるからです。

 では、どこかに窪地の痕跡というものはあるのでしょうか?

実際の地形を見ると……

 谷や尾根の判別がわかる国土地理院の陰影起伏図を見ると、大久保駅~新大久保駅エリアはほとんど平地であることがわかります。

大久保エリア周辺の陰影起伏図(画像:国土地理院)

 少し広い範囲で見てみると、南は新宿6丁目付近から、北は戸山3丁目の学習院女子大の南側あたりまで広い範囲で窪地があることがわかります。

現新宿6丁目にぽっかりと空いた場所


【地図】100年前の大久保エリアを見る

画像ギャラリー

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