覚えてる? 平成の珍事件「矢ガモ騒動」、なんと記念碑が板橋区にあった!
2021年2月9日
ライフ平成に話題をさらった「矢ガモ騒動」からはや28年。テレビなどで連日連夜放送されていた当時について、フリーライターの弘中新一さんが解説します。
矢ガモ専門記者まで登場
これを受けて、行政も人員を大量投入して捕獲作戦が始まります。

担当したのはカモが現れた板橋区役所の環境保全課と、北区・台東区の区役所、都庁の鳥獣保護係。板橋区は現場に5人、役所に5人の専任職員をおいての対応でした。
このニュースは海外でも報道され、カモの捕獲作戦を取材しようと現場には常に50人近くの報道陣が張り付きます。加えて、やじ馬もどんどん数が増えました。ちなみに新聞社やテレビ局は交代制でしたが、週刊誌は「お前は矢ガモ番だ!」と命じられ、カモが捕獲されるまで帰社を禁じられた記者もいました。
しかしカモは容易には捕まらず、現場周辺にはテレビカメラが常に並び、やじ馬が記念写真を撮るという光景が何日も続き、ついには立ち入り規制が行われます。ちなみに集まったやじ馬のなかには「不忍池のカモは戦後は貴重なタンパク源だった」と熱く語る人もいたといいます(『週刊現代』1993年2月27日号)。
電話と手紙が行政に殺到
騒動の過熱で特に困ったのは、板橋区役所と上野動物園(台東区上野公園)です。毎日のように電話や手紙が殺到し、なかには自分の考えた捕獲方法を語り続ける人もいたといいます。
結局2月12日になり、ようやく上野動物園の職員がしかけた網でカモの捕獲に成功。矢の摘出手術を受けたカモは回復後、同月23日に自然へと帰されました。
こうして騒動は一段落しましたわけですが、捕獲作戦にかかった費用は約300万円にものぼりました。なにしろ、さまざまな役所の職員がずっと現場に張り付いていたのですから、人件費だけでもばかにならなかったのです。

一方、カモに矢を射るような危険な人物がいることへの恐怖も話題になりましたが、なかなか犯人は捕まりませんでした。警視庁も捜査に乗り出したものの、結局犯人の逮捕には至りませんでした。
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