49年前の今日、日本は「金銀銅」を独占した――1972年札幌五輪 栄光の記憶を辿る

新型コロナウイルス禍に世界中が翻弄される2021年。夏には東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されています。過去のオリンピックが日本中にもたらした感動について、ノンフィクション作家の合田一道さんが49年前の記憶をひも解きます。


1972年2月6日、競技場は熱気に包まれた

 1972(昭和47)年2月6日は大会4日目を迎え、協議の舞台となる札幌・宮の森シャンツェには朝から2万人を超える観衆が押しかけました。快晴に恵まれ、熱気が充満しています。

 午前10時、競技が始まりました。1本目、外国人選手に交じって5番目に登場した金野昭次選手が、いきなり82.5mを飛んで得点120.2を出しトップに立ちました。

 これを追ってヘンリー・グラス(東ドイツ)、ツァカゼ(ソ連)、ウォルフ(東ドイツ)の強豪が飛びましたが、抜けません(東ドイツは東西統一前、ソ連は現在のロシア)。

 日本2番手の青地清二選手が20番目に登場して、素晴らしいタイミングで83.5mを飛び、初めて金野選手を抜いてトップに立ちました。フォルトナ(ポーランド)、ブリッツ(ノルウェー)、コデシュカ(チェコ)らが相次いで80mを越えますが、青地には及びません。

 日本人3番手の38番藤沢隆選手が、やや踏み切りは遅れたものの81mまで伸ばして3位に食い込みました。その一方、グラフノ(ソ連)、ラシュカ(チェコ)、ケユスケ(フィンランド)らの強豪選手は軒並み振るわず、ヤルグレン(スウェーデン)だけが81mを越えたものの着地が乱れました。

東京オリンピックの開催をめぐりさまざまな意見が出る今、49年前の日本人選手の活躍をもう一度振り返る(画像:写真AC)

 45番は日本のエース笠谷幸生選手。

 飛び出して中盤から重心を移動させる鮮やかなフォームで、84mの最長不倒距離を出して一気にトップに立ったのです。前半戦を終えて、日本勢4人が4位まで顔をそろえたのです。会場の興奮は高まるばかりでした。

日本の冬季五輪で初の金メダル


【画像】日本が1~3位を独占 当時の新聞を見る

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