三井・三菱は男爵止まりも 渋沢栄一だけがワンランク上の子爵になれたワケ【青天を衝け 序説】
2021年2月4日
ライフ“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。
明治政府に疎まれた実業家
これだけを見ても渋沢が単なる実業家ではないことがわかります。そうした渋沢の活動は経済界のみならず政界にも浸透し、政府の首脳陣たちも実感していました。
明治新政府は1884(明治17)年に、
1.公爵
2.侯爵
3.伯爵
4.子爵
5.男爵
の五爵を制定しますが、これら爵位は国家に貢献した人物に与えられることになっていました。公家出身の岩倉具視(ともみ)は公爵、伊藤博文は伯爵を授爵されています。伊藤は、その後の功績から公爵へと陞爵(しょうしゃく。爵位制度での昇進)しています。
こうした国家に貢献という理由から政府は政治家や官僚などへ爵位を授けていましたが、その一方で実業家に対しては「私利私欲に走り、国家に貢献しない」ことを理由に爵位を与えませんでした。
そうした方針の例外とされたのが渋沢です。

前述したように、渋沢は企業の立ち上げだけではなく福祉・医療・教育分野でも大きく貢献しています。これら福祉・医療・教育といった分野は国家の土台でもあり、本来なら政府・行政が整備するものです。しかし、当時の政府はそうした福祉・医療・教育といった分野の充実までに手を回すことができませんでした。
渋沢は資金・人材など自身のリソースをフル活用して福祉・医療・教育の充実を図ります。こうした渋沢の取り組みが、政界から評価されることになるのです。その結果、1900年に渋沢は男爵を授爵されました。
こうして実業家で爵位を得た渋沢でしたが、その後の社会情勢の変化により、政府の爵位に対するスタンスは変化します。当初は実業家に爵位を与えることに消極的だった政府でしたが、日清・日露戦争というふたつの大戦で政府の財政が逼迫(ひっぱく)したことから大きく方針を転換。
政府は、「金銭的に国家に貢献するなら爵位を与える」と呼びかけて寄付を求めました。多大な財産がある実業家にとって、政府の求める寄付金は大した出費ではないのです。
実は、政府が財政逼迫を理由に寄付を呼びかける前から、三井・三菱は率先的に寄付していたこともあり、渋沢より早い1896年に男爵を授爵されています。
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