銀座の一等地にあった異空間 戦後の香り漂う「三原橋地下街」を覚えていますか

2014年まで、銀座の一等地に昭和の香りを残す地下街がありました。その歴史について、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。


地下街形成の経緯

 南北にビルを建てて地下を通路でつないだモダンな地下街はもともと、観光事業を目的として使われるはずでした。

 同事業は東京都観光協会が都から土地を借りて、ある不動産企業に運営させる流れとなっていました。しかしこの企業は使用目的を無視し、パチンコ屋や飲み屋などへ施設のまた貸しを始めます。

 このことは都議会で問題となり、また地下街ではなくロータリーを要望していた中央区も憤慨。事態が紛糾していた1953年頃には、新聞各紙が問題を連日報じ、ついには国会で参考人招致が行われるまでに。しかしその後追求は続かず、問題は棚上げされたままうやむやになりました。

1947年頃の三原橋周辺の様子。埋め立てられる前の三十間堀川が見える(画像:国土地理院)




 こうして既成事実と化した地下街は1963(昭和38)年、地下鉄日比谷線の工事の際に一時閉鎖されたものの、そのまま存続します。

 日比谷線の工事にあたっては地下に新たな階を建設し、そこに地下街を移転する提案もされましたが、店舗が応じず断念することに。

 こうして存続してきた三原橋地下街ですが、東日本大震災以降、老朽化と耐震性が問題となり、ようやく立ち退きが本格化。2014年4月をもって閉鎖となりました。

 銀座の一等地で戦後の名残が21世紀まで続いていたのは、ある意味奇跡的な現象でした。

「地下に街が広がっている」というロマン


【画像】在りし日の「三原橋地下街」を見る

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