ついに東京を席巻したバーチャルアイドル 開発者たち「汗と涙の30年史」とは

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ついに東京を席巻したバーチャルアイドル 開発者たち「汗と涙の30年史」とは

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犬神瞳子

フリーライター

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今や、東京の街で見掛けない日はないほど普及・定着した「バーチャルアイドル」。しかしその歴史は、何も今に始まったわけではありません。そこには、長きにわたる技術開発や試行錯誤の繰り返し、開発者たちの情熱がありました。フリーライターの犬神瞳子さんがその歴史をひも解きます。

まるで未来? バーチャルだらけの東京

 コロナ禍で家から出にくくなった東京人。近年、話題を集めているバーチャルYouTuber(VTuber)が2020年も人気をさらったのは、ステイホームの効果も大きかったでしょう。

 CGキャラクターを使って動画投稿・配信を行うVTuber。登場した頃は「キワモノ」扱いでしたが、今ではすっかり定番となりました。渋谷や新宿など、東京の街頭に設置されたデジタルビジョン広告には、ほぼ必ずと言っていいほどバーチャルなアイドルが映し出されます。

 まさか本当にバーチャルな存在がアイドルになるなんて、もう東京は完全に未来なのでしょうか。

 ここで思い出すのがウィリアム・ギブスンのSF小説『ニューロマンサー』(1984年)。その後『攻殻機動隊』などでも登場する、電脳世界と肉体が接続されるのが当たり前の世界を描いたサイバーパンクを普及させた小説です。

 その作品の舞台は日本の千葉。首都圏でも東京ではなく千葉を舞台にするところが作品の切れ味ともいえます。

 さて、バーチャルなアイドルの最初の流行といえば2007(平成19)年に登場した初音ミクをなしには語れません。

 楽器・オーディオ関連製品のヤマハが開発した音声合成システム「VOCALOID」に対応した音声合成・デスクトップミュージック (DTM) の音源からスタートしたこのキャラクターは、気がつけばバーチャルな存在を実在のアイドルのように愛し、応援することを当たり前のこととしました。

 しかし、バーチャルアイドルの登場まではとても長い試行錯誤の歴史がありました。

懐かしい! ときメモ藤崎詩織の記憶

 バーチャルな存在にも関わらず実在のアイドルかのように人気を集めたのはアニメ『超時空要塞マクロス』のヒロインであるリン・ミンメイや、ゲーム『ときめきメモリアル』の藤崎詩織などがいました。

 とりわけ後者はマルチモニターを用いたコンサートが開催され、集まったオタクの群れに藤崎詩織が語りかけるというイベントもあり、バーチャルアイドルの存在を世に知らしめるはしりとなりました。

2018年にデビューしたバーチャルタレントでVTuberの伊達あやの。元祖バーチャルタレントの母親を持つサラブレット(画像:ホリプロ、ホリプロデジタルエンターテインメント)



 そうした中、1996(平成8)年11月に生まれたのが伊達杏子 DK-96です。

 彼女は、バーチャルな存在なのに大手芸能プロダクション・ホリプロ所属のれっきとしたタレント。東京は福生の寿司屋の生まれで16歳。アルバイト先のハンバーガー屋でスカウトされてデビューした、CG技術を駆使した「世界初の仮想アイドル」でした。

 それまでの芸能プロダクションのセオリーであるタレントを「探す」のではなく「創る」という壮大な計画は、社員10人と技術スタッフ50人あまりを投入した壮大なものでした。

 眠ることもなく、不満を言うこともなく、同時に複数の場所に出演することもできるというバーチャルアイドル。その登場は世に衝撃を与え、伊達杏子 DK-96は国内はもとより海外のニュースにも登場。雑誌の表紙も飾ります。

 しかし、その華々しいプロモーションにも関わらず彼女はわずかな歌を残しただけで消えてしまいました。

 その理由は当時の技術的限界です。

2018年、ついに2世Vアイドルが誕生

 今では個人でも購入できるレベルのパソコンで、VTuberはかなり自由に動作を表現することができます。リアルタイムでの受け答え(会話)も可能です。

 ところが、この当時は1分半の出演シーンを制作するだけでも4週間。リアルタイムに動きをコントロールすることも困難でした。

 しかも、その人件費や設備投資に対する出演料は、まったく見合うものではなかったのです。こうして1997年3月にプロジェクトは中止となってしまいます。

 この早過ぎたアイドルの再チャレンジはその後も続き、2001(平成13)年には金沢工業大学のインターネットを使った一般対象の講座「エンターテインメント工科大学」として伊達杏子 DK-2001が登場。2007年には当時注目されていたSecond Lifeにアバターとなった3代目が登場しましたが、あまり話題になることなく終了。

 しかし2018年には、今度は伊達杏子の娘という設定のVTuber・伊達あやのが、ホリプロの子会社・ホリプロデジタルエンターテインメントのプロジェクトでデビューを遂げました。こちらは現在も活動中。そのうち伊達杏子も登場する予定だそうなので、期待が持てます。

1996年、当時「16歳」で元祖バーチャルタレントとしてデビューした伊達杏子(画像:ホリプロ)



 時代が追いつけなかった伊達杏子 DK-96ですが、理想のアイドルを創造するという夢を持つ人を次々と生み出したのは確かです。

 続いて登場したのが、テライユキ。漫画家・くつぎけんいちさんが自作のヒロインを基にデザインしたバーチャルアイドルです。

 1998(平成10)年8月、くつぎさんが自身のホームページで発表してデビューしたテライユキは、その年10月の『ヤングジャンプ』にグラビアで登場。翌年3月にはお台場のネオジオ ワールド東京ベイサイドのナビゲーターとして、動く姿を見せて話題になりました。

 そして、シングルのみならず写真集『Shangri*la』まで発売します。

歴史を築いた開発者たちの情熱

 この写真集は実際のモデルで撮影したものに3DCGを合成しているのですが、わざわざロスで撮影するという気合いの入れよう。日産セドリックのホームページでイメージガールに採用されたり、ライオンの「エチケットライオン」のテレビコマーシャルに出演したりと活躍の場を拡げます。

 ちなみに設定年齢は17歳なのですが、ジャズを好みサラ・ヴォーンとビリー・ホリディを愛して止まないというシブい設定も話題となりました。

 テライユキの成功をきっかけに始まったのが、理想のヒロインを生み出そうとする熱い人々の努力です。

 テライユキは当時エクス・ツール社の販売していたソフトウェア「Shade」を用いて制作されていました。テライユキが話題となる中で、その廉価版も発売されたことで次々とクリエイターが現れ、バーチャルアイドルの創造が活発化します。

 2000(平成12)年前後の状況を見ると、伊達杏子のモデリングを手がけた小坂達哉さんの生み出した、伊達杏子の妹・伊達薫。テライユキと同じく「Shade」で開発され3DCGが販売された有栖川麗子。エクス・ツール社の女性社員をもとに制作したというMATUOKA。これまた、写真集も販売された飛飛などが生まれています。

東京の街に掲げられたデジタルビジョン広告には、バーチャルアイドルが毎日のように映し出される(画像:写真AC)



 これに加えて、ナムコのレースゲーム『リッジレーサー』シリーズのバーチャル・レースクイーンである深水藍や永瀬麗子な度も話題になり、当初は最新技術を用いた物珍しいものでしかなかったバーチャルアイドルが親しまれるようになっていったのです。

 いまや東京の街で当たり前に見かけるVTuber。そこには20年を超える人々の情熱があったのです。

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