東京・国分寺の謎 街なかに突如現れる「幅12mの歩道」とは【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(9)

西国分寺駅の南東側に長さ300m、幅がなんと12mもある歩道があります。いったい何でしょうか? 都内探検家の業平橋渉さんが解説します。


注目を集めたのは1995年

 東山道武蔵路の発掘によって明らかになったのは、しつこいまでに直線的に走っていることです。江戸時代の街道でも曲がりくねっているのが当たり前にもかかわらず、古代のこの道路はとにかく直線的で、また両側に溝を持っています。

 東山道武蔵路が注目を集めたのは、1995(平成7)年に中央鉄道学園跡地の再開発にともなう調査で大規模な遺構が発掘されたことによるものでした。それまでも認知はされていましたが、この発掘によって古代の道路であることが明らかになったのです。

国分寺市泉町にある中央鉄道学園記念碑(画像:(C)Google)

 古代の道路というと、よく想像されるのが古代ローマ時代のものです。こちらは石などを使って道路を築いているため、明らかに道だとわかります。しかしそうではない日本の古代の道路が、すぐに道路だとわかるのだろうかと思いますが、これがわかるのです。

 というのも、道路は多くの人が往来をするので踏み固められています。その結果、道路の遺構はガチガチに硬くなった形でそのまま埋もれているのです。これを発見すれば、東山道がどういうルートを通っていたかが明らかになるわけです。

真っすぐ突き進む東山道武蔵路

 国分寺市の発見以前には、埼玉県所沢市の東の上(あずまのうえ)遺跡で道路遺構が発見されました。このことから両者の道路を結ぶ線を想定して、その間を東西に掘っていけば、どこかで発見されると推測できます。

埼玉県所沢市にある東の上遺跡。南に西国分寺駅がある(画像:(C)Google)

 とはいえ間の土地の多くには住宅が立ち並んでいるため、発掘調査は使用していない土地や、建て替えでたまたまさら地になった場所を探して行う形で進みます。

 これらの調査の結果、1998年に東村山市で野口橋遺構や八国山遺構と名付けられた道路遺構が発見され、東山道武蔵路が一直線につくられていることが裏付けられました。

 官道は、途中に駅を設けて国府との連絡に使うのが第一の目的です。そのため、最短ルートで都と拠点を結ぶことに重点を置いていました。

 理屈としてはわかりますが、道路のルートはかなり無理をしているようにも見えます。

 東京都と埼玉県の県境の丘陵部にある八国山遺構は特にむちゃで、少し東に行けば平地となっているため、こちらへ遠回りすればいいものの、道路は丘陵部を突破しています。とにかく真っすぐ道路をつくるというのが、譲れない鉄則だったというわけでしょう。

直線が招いた結果


【画像】ビックリ? 「東山道武蔵路」を見る

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