まるで明治時代のAmazon 110年前「三越百貨店」が始めた画期的な注文システムとは?

新型コロナ禍でよりいっそう定着した、ネット通販などオンラインを使ってのお買い物。そのはしりとも言えるサービスを、老舗百貨店「三越」が明治時代すでに導入していたことをご存じでしょうか? 先見の明にあふれる同店の取り組みを、フリーランスライターの小川裕夫さんがたどります。


品ぞろえだけでなく「流行発信地」にも

 メッセンジャーボーイは、自動車・自転車などを使って商品を配達。配達可能エリアは現在の東京23区よりも狭い範囲でしたが、来店できない利用者に好評を博しました。

 つまり三越は通信環境などが未発達の頃から、まるで現代のAmazonや楽天、UberEatsのようなサービスを始めていたのです。

 三井呉服店をルーツとする三越は、三井財閥が銀行・物産・鉱山に事業を集約する方針から、1904(明治37)年に呉服店事業が切り離されたことから再スタートを切っています。

日本橋室町の三越百貨店本店の本館。重要文化財にも指定されている建物の外観はルネッサンス様式、内観はアール・デコ様式で風格と歴史が漂う(画像:小川裕夫)

 再出発時、三越は“百貨”店と呼べるほどの品ぞろえではありません。まだ呉服店から派生したばかりで、髪飾りや化粧品といった衣類と関連性のあるグッズが目立ちました。

 三越の支配人だった日比翁助(ひび おうすけ)は西洋で隆盛していたデパートメントストアに刺激を受け、何でもそろう百貨店を目指しました。日比はデパートメントストア宣言を発表し、旧来の呉服店から脱却を図ります。

 三越は品ぞろえを充実させるだけではなく、社会の流行発信地になることも目指しました。

 1905(明治38)年に文化人で組織する「流行研究会」を発足。流行研究会には森鴎外や新渡戸稲造なども名を連ね、これまでにない商品やサービスの拡張に努めます。

 そうした取り組みで花開いたのが、帝国劇場とのタイアップという販促・広報戦略でした。

キャッチコピーを活用、一世を風靡


【画像】先見の明、当時珍しい「三越」の取り組み(2枚)

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2021/01/210111_mitsukoshi_04-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/01/210111_mitsukoshi_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/01/210111_mitsukoshi_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/01/210111_mitsukoshi_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2021/01/210111_mitsukoshi_03-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画