江戸幕末の士「勝海舟」、子孫たちが語った晩年の知られざる素顔とは

江戸時代末期の幕臣、勝海舟。数々の逸話を持つこの偉人について、彼の末裔たちもまたさまざまな証言を残しています。知られざる足跡をたどって、ノンフィクション作家の合田一道さんが日本近代史の“その後”へ案内します。


「なかなかの人物」と称された龍馬

 海舟の談話録『氷川清話』の中に、坂本龍馬が海舟を訪ねてきたときの話として、

「彼は俺を殺しに来た奴だが、なかなかの人物さ。なんとなく冒しがたい威厳があってよい男だったよ」

との一文を取り上げる一方で、龍馬が姉・乙女にあてた便りの

「此頃ハ天下無二の軍学者勝麟太郎という大先生に門人となり、ことのほかかはい(かわい)がられ候」

とを読み合わせて、海舟と龍馬の信頼関係がどれほど深かったかについて述べました。

 続いて福沢諭吉が『痩我慢の説』で海舟を鋭く批判したとき、海舟が答えた文面を紹介しました。

「行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。毀誉(きよ)は人の主張、我にあずからず我に関せずと存じ候」

北海道木古内町の更木岬にある、咸臨丸のモニュメント(画像:合田一道)

 広辞苑によると、行蔵とは「世に出て道を行うこと、隠遁(いんとん)して世に出ないこと、出処進退」とあり、毀誉とは「そしることとほめること」とあります。

 つまりこの文面は、出処進退は自分にある、そしるほめるは他人の主張だから、私には関わりのないことである、と述べているのです。筆者の好きな文言のひとつです。

海舟と龍馬の厚き信頼関係


【画像】勝海舟のひ孫・やしゃご

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