マスクが消え、仕事が消え、日常が消えた――東京の女性が残した「2020年コロナ禍」の克明記録

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マスクが消え、仕事が消え、日常が消えた――東京の女性が残した「2020年コロナ禍」の克明記録

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堀越愛

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2020年の年明け早々に始まった国内での新型コロナウイルス感染拡大は、年末を迎えた12月末現在も、なお収束の気配を見せません。今年体験したことを忘れないために、いずれまた振り返って考えるために――。ライターの堀越愛さんが、自身に起こった出来事のメモを通して「2020年」をここに記録します。

2020年の体験を忘れないために

 2020年は「思い出の少ない年」になりました。

 新型コロナウイルスの感染が拡大し、日常はゆるやかに変化。食事会や旅行、ちょっとしたお出かけまでが、“当たり前”ではなくなりました。

 スマートフォンのカメラロールを見返すと、ほんの数スクロールで前年にたどり着きます。「今年だけ、例年より数か月少ないのではないか」……そんなことを本気で思ってしまうくらい、あっという間に12月末になりました。

 時の流れが早かった割に、なんとなく満たされず、思い出が少ない。充実感が無いのです。少しでも今年を“残す”ために、今のうちに何かしておくべきことはないかと気持ちばかりが焦ります。

 東京で暮らす筆者はこの1年、自分の身に起こった出来事を逐次メモに残していました。

 あくまで個人的な記録ではありますが、日本・東京に暮らす多くの人が体験したことと重なる部分は少なくないのではないでしょうか。コロナ禍の2020年を振り返るひとつの材料として、ここに一部を紹介したいと思います。

1月、対岸の火事

 日本で最初に新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは1月15日(水)。中国・武漢からの帰国者と報道されました。当時はここまで感染が拡大するとは思われておらず、筆者も「中国でなにやら未知のウイルスが出たらしい。でも自分には関係の無いこと」という認識でした。

 1月末、近所のスーパーで「マスク大量入荷 おひとり様10点まで」という売り出しがあり、あっという間に売り切れるという瞬間に立ち合いました。対岸の火事と思いながら、このときには少しずつマスク不足が始まっていたようです。

2月、急激な状況変化

 2月頭、大規模イベントもまだ通常通り開催されていました。筆者は2月9日(日)に都内で開かれた7000人規模のライブに行っています。そのアーティストがSNSに投稿した写真(舞台上から客席を撮影)をよく見ると、マスクをしている人はちらほら。

 2月中旬、友人の結婚式に参加。式の延期・中止を検討する人が増えていた時期で、筆者も友人と「ギリギリだったね」と会話したことを覚えています。

 2月半ば過ぎ、各所で具体的な変化が出てきます。ホテルではビュッフェ形式の食事提供を自粛。春先に開催予定だった大型イベントは中止・延期が相次ぎました。ただ、この時は「すぐにまた開催されるだろう」と楽観的でした。

3月、「新しい生活様式」

 トイレットペーパー不足など、生活への影響が大きくなり始めました。「不要不急の外出は止めよう」という認識が少しずつ強くなっていった時期でもあります。個人的には、プライベートの予定が直前でキャンセルになることが増えました。

「対岸の火事」だったはずの新型コロナは、少しずつ確実に私たちの日常を侵食していった(画像:写真AC)



「なんだかよく分からないけど、念のため止めておこう」という、未知のウイルスに対するあやふやな恐怖。

 3月中旬頃、筆者が行った演劇公演では入り口でアルコール消毒がありました。ただ客席の間隔は空いておらず、みっちりと満席。マスクも義務付けられていませんでした。

 日常生活への影響はありつつ、まだまだ“自分事”とは捉えていなかったように思います。思い返すと、なんとなく“新しい生活様式”が生まれ始めたのがこの頃なのかもしれません。

4月、「緊急事態宣言」発令

 少しずつ「緊急事態宣言が出るかもしれない」という雰囲気が高まってきました。テレワークに切り替える企業も増え、働き方の模索が激しい時期でした。

 個人的なことですが4月頭、筆者はふたつの業務委託案件が契約解除となりました。フリーランスのため、これは経済・精神的ダメージの大きな出来事。しかし、この頃はすでに「不要不急の外出自粛」が当たり前に。

 医療機関の逼迫(ひっぱく)も連日報道されていました。「私なんかが弱音を吐いてはいけない」。そんな思いで、なんとか日々を乗り切りました。

 4月7日(火)、緊急事態宣言が発令。5月6日(水)までの1か月、外出自粛要請が出されました。また、「Zoom飲み会」といった“会わないコミュニケーション”が一般的になりました。

5~6月、ひたすら自粛と宣言解除

「帰省しないゴールデンウィーク」の最中、緊急事態宣言の延長が発表。定額給付金・持続化給付金などの申請や振り込みも始まりました。正直、5月に何があったかほぼ思い出せません。

 緊急事態宣言が明け6月、筆者個人ベースでは少しずつ仕事が戻ってきました。

 6月中旬、約3か月ぶりとなる“対面”取材。3月頭に取材をした際はマスクをしていませんでしたが、当然この時はマスクあり。たった3か月で、「マスクをする」ことが当たり前になっていました。

7月~8月、イベントの再開

 演劇やライブなど、リアルイベントの開催が再開され始めました。コロナ以前と変わったのは、「客席間を空ける」「消毒」「検温」「換気」など。また、イベントと並行し「オンライン配信」があることも当たり前になりました。新しい生活様式に慣れ、ちょっとずつ日常が戻ってきました。

「3密」や「ソーシャルディスタンス」、それまで無かった新しい用語や常識が次々に生まれた(画像:写真AC)



 ただそれは、コロナ前と全く異なる「日常」。ウイルスと並走する、「新しい日常」と言えるかもしれません。筆者はお盆の帰省を控えました。「今我慢すれば、きっと年末には……」。そう思っていたのですが、現実は甘くありません。

9~10月、東京と地方のギャップ

 9月頭、友人と1泊旅行に行きました。東京から出たのは約半年ぶり。旅行と言っても観光はほとんどせず、宿を満喫する“大人の”旅です。料理はすべて部屋食で、滞在中ほかの宿泊客と出会うことはほぼありません。宿泊施設のウェブサイトには必ず「ウイルス対策」に関する記述があり、工夫しながら観光客を受け入れていることを感じました。

 9~10月頃には、東京で生活するにあたり不便を感じることはほぼ無くなりました。普通にイベントにも行くし、友人と食事もするし、仕事にも出ていく。

 ただ、地方に住む家族からはたびたび「東京は大丈夫なのか」と連絡が。自分が感じている「慣れ」と、地方から見た「東京」のギャップを感じました。

11~12月、再び感染者の増加

 11月に入り、感染者数の急激な増加が報じられるようになってきました。11月下旬、感染者が1日500人を超え、12月にはついに900人台に。感染者数の新記録は連日塗り替えられ、「GoToキャンペーン」は一時停止。飲食店への時短要請も、期間が延びました。

 実家からの「大丈夫か」という連絡も、頻度が増えました。外から見た東京と、内側にいる東京。なんだか違うものを見ているようです。

「2020年」とは何だったのか

 こうしてあらためて振り返ると、2020年は変動の大きな年でした。

「自分がどうか」より、「社会がどうか」で振り回される日々。生活様式、テレワーク、配信イベント……など、「新しい当たり前」が多く生まれました。

 変化に慣れ、自分ではどうしようもない現実を受け入れる……。もしかしたら、思い出が少ないのは「主人公が“社会”だったから」かもしれません。物事の判断基準が、自分ではなく社会であることが増えた、ということ。

 引き続き、先の見えない日々が続きます。ウイルスと共存しながら生活を続けていくことは避けられない現実です。

 2021年をより充実した年にするためには、「社会」ではなく「自分」に主軸を置いて思考する癖をつけると良いかもしれません。

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