「恋愛」こそ人生の最重要だった時代……柴門ふみ著『恋愛論』はいかにして生まれたのか

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「恋愛」こそ人生の最重要だった時代……柴門ふみ著『恋愛論』はいかにして生まれたのか

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小西マリア

フリーライター

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1990年代初頭、人々の関心は「恋愛」に注がれていました。その時代を象徴するかのような1冊が、恋愛漫画の名手・柴門ふみによる『恋愛論』です。このベストセラー本はいかにして誕生したのか? フリーライターの小西マリアさんが平成史をたどります。

恋愛書籍が飛ぶように売れた

 価値観の変化や経済的事情。理由はさまざま、個人の事情があるのでしょうが、気がつけば個人の人生の中で「恋愛」を最も重要な要素だと考える時代は過去のものになっています。

 でも、そんな時代だからこそ、ふと考えるのが、個人の感情である恋愛が最重要視され、さまざまな文化や商売の原動力になった時代があったということです。あれは、いったい何だったのでしょう。

 1990(平成2)年頃、世の中では恋愛をテーマにしていた書籍が飛ぶように売れていました。

 鴻上尚史『恋愛王』、二谷友里恵『愛される理由』、風間研『大恋愛』……。難解な哲学書であるロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』も10刷を越えていました。

 そうした中で特に「あの本、読んだ?」と話題になっていたのは柴門ふみの『恋愛論』(PHP研究所)でした。

 柴門ふみといえば、『東京ラブストーリー』などで知られる恋愛漫画の超売れっ子。2020年12月現在も、TBSテレビ系で絶賛放送中のドラマ『恋する母たち』の原作者です。

 90年代初頭の華やかな東京の街を舞台にドラマ化された「東ラブ」は、バブル時代のトレンディードラマの代表格となり、以降、柴門ふみを指して「恋愛の教祖」といったふたつ名が広がっていくわけです。

 となると、当時を知らない人は「『東京ラブストーリー』がヒットしたから関連本として『恋愛論』を出したのか」……と思いそうですが、そうではありません。

『東京ラブストーリー』のドラマの放送が始まったのは1991年1月、対して『恋愛論』がPHP研究所から刊行されたのは1990年7月。

 そう、世間が「柴門ふみの恋愛に対する視点は面白いなあ」と話題にしていたところに、ドラマが始まって大ヒットに至ったというわけです。

まっとうで等身大の恋愛観

 この本、今も電子書籍版があるので容易に入手しやすい1冊です。

 見出しを拾ってみますと

「愛されたいなら、不完全で無防備な自分をさらけ出すことです」
「恋もはしかもワクチンを打つより本物にかかることをおすすめします」
「イヤなやつを一度好きになると病みつきになる」

といった言葉が並びます。

現在、電子書籍版で読むこともできる、柴門ふみ著『恋愛論』(画像:PHP研究所)



『東京ラブストーリー』のドラマのインパクトが大きいのでどんなにゴージャスなことが書いてあるのかと思ったら、想像以上に等身大のことが書いてあるので、現代人が読むと驚くはずです。

 現代、この手の恋愛論をぶち上げようとすると効率とかライフハック、世間を冷笑するような冷めたやり方が何かと注目を集める傾向がありますが、柴門ふみはとにかくまっとうで、良い意味で当たり前のことしか書いていません。

 しかも、タイトルの『恋愛論』もまた決してインパクトがあるものではありません。おそらく現代だったら「何十万部も売った有名漫画家が語る恋もお金も充実させる方法」みたいな、ちょっと過剰なほど長いタイトルが付けられるのではないでしょうか。

 何より『恋愛論』が出た当時、専門外の人物に哲学的なテーマを語らせるような本は、まだ珍しいものでした。

 少し後になりますが朝日新聞(1994年4月12日付)では、『恋愛論』や秋元康の『恋について僕が話そう』を取り上げ

「一昔前ならば、この種の本は有名作家か、ちょっと芸域の広い学者の副業として書かれるものと相場が決まっていた。彼らは年季の入ったプロの物書きであり、いわば人生練達の士である。つまり、実際の中身はともかくとして、人生に対する知恵の『深み』と経験の『豊かさ』が売り物だった」

として、これらの本が売れる新しい時代を批評しています。

 この『恋愛論』を仕掛けたのが今は幻冬舎の重役になっている編集者・福島広司です。

 なんと、柴門ふみに「文章をお書きになりませんか」と企画を持ち込んだのは、刊行の5年も前でした。

 まだ『P.S.元気です、俊平』とか『僕の唄は君の歌』などを描いていて、その後の作品よりも情念が強めの時代です(柴門ふみがメジャーデビュー以前「ケン吉」名義で描いていた作品を読むと、トレンディーの正反対の世界過ぎて驚きます)。

ベストセラーにつなげた編集の妙

 福島は学生時代から柴門ふみ作品を愛読しており、それが若者に受けているという流れをつかみ依頼をしたといいます。そして初めて出たエッセーが1988(昭和63)年の『愛についての個人的意見』(PHP研究所)です。

 この本も話題になり、15万部ほど売れてパート2も刊行されます。そこで満を持して男女の恋愛だけにテーマを絞って刊行されたのが『恋愛論』でした。

 この本はけっこう難産だった本です。というのも、柴門ふみは漫画のほうが多忙で文章を書く時間があまり取れず、原稿の枚数を確保できないのです。そこで、以前別の雑誌で連載されていた人生相談を再利用したわけです。

90年代前半、恋愛こそ人生における最も大切な要素と考えられていた(画像:写真AC)



 これは、出版業においてはなかなか大変なことです。

 以前に雑誌に掲載された内容をあらためて収録というのは、よく使われる手段ではあるものの、同時に「手間を省いて作ったのでは」といったマイナスの印象を読者に与えかねないからです。

 そのハードルをクリアしてベストセラーへと持ち込んだのは、まさに編集者の知恵といえます。

 知恵のひとつはまずタイトルをシンプルに『恋愛論』としたこと。これによって書店で見た読者の想像力をかき立てるわけです。

 さらに新書版なのに本の値段も上がってしまうハードカバーの装丁です。こうしたことによって本の安っぽさが消され、持っているだけでも価値のある本が出来上がったというわけです。

 まさに編集の妙技によって生まれた『恋愛論』。恋愛自体が価値を失いつつあるこの時代に、また恋愛が語られることはあるのでしょうか。

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