『鬼滅の刃』は社会現象から「定番」に変われるか? 前例の恐竜ブームから考える

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『鬼滅の刃』は社会現象から「定番」に変われるか? 前例の恐竜ブームから考える

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大居候

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日本全国を駆け巡っている『鬼滅の刃』ブーム。そんなブームに負けずとも劣らない、そして何より長く続いているのが恐竜ブームです。その歴史について、フリーライターの大居候さんが解説します。

「定番コンテンツ」としての恐竜

 吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)さんの漫画『鬼滅の刃』(集英社)の最終巻が12月4日(金)に発売され、全国各地で話題となっています。ここ東京でも早朝から書店の売り場にファンが列を作る姿が見られています。

TVアニメ『鬼滅の刃』(画像:(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable、エクシング)



 そんな国民的大ブームとなりつつある『鬼滅の刃』ですが、関連ニュースを眺めていたところ、福井県立恐竜博物館(福井県勝山市)で館内に設置されたフクイサウルスの模型に、主人公・竈門炭治郎(かまど たんじろう)の羽織の柄をモチーフにしたマフラーが付けられているのを見つけました(中日新聞2020年11月28日付)。

 これで筆者が思い出したのは、『鬼滅の刃』に負けずとも劣らない、そして何より日本人に長く愛されている恐竜の存在です。『鬼滅の刃』は一過性の社会現象ではなく、恐竜のように「定番コンテンツ」となるのでしょうか。

 実際、恐竜は今でもどのくらい注目を集める存在なのか――2019年から2020年11月までの新聞各紙を調べてみると、なんと

・朝日新聞:681件
・読売新聞:564件
・毎日新聞:383件
・産経新聞:102件
・東京新聞:176件

もの関連記事が出ていました。これらの数字から見ると、私たちはほぼ毎日、恐竜という言葉を目にしていることになります。

 2020年夏も映画『ドラえもん のび太の新恐竜』が上映され、都内では立川市で「恐竜型メカニカルスーツ」を使った「DINO-A-LIVE 不思議な恐竜博物館 in TACHIKAWA」が開催され話題になりました。

 そんな恐竜が定番コンテンツとなったのは、1990年代初頭でした。こう話すと多くの人がスピルバーグの映画『ジュラシック・パーク』を思い浮かべるでしょう。同作がきっかけとなりブームが発展したと考える人も少なくありませんが、実際は異なります。

 正確に言えば、『ジュラシック・パーク』は恐竜ブームが盛り上がっていたときに日本上陸したのです。

ブームの始まりは1980年代後半から

 恐竜ブームの始まりは、バブル景気に沸いていた1980年代後半からです。出版業界では1988(昭和63)年頃から恐竜本の売れ行きが伸び、次々と新たな本が発売されます。

 最初に「売れている」と話題になったのは、

・『地球絶滅恐竜記』(今泉忠明、竹書房)
・『動物大百科 別巻 恐竜』(D・ノーマン、平凡社)

でした。

『動物大百科 別巻 恐竜』(画像:平凡社)



 前者は8800円、後者は4000円と決して安い本ではありません。しかし、そのような本が徐々に売り上げを伸ばしていたのです。

 さらに1989年に入ると、

・『恐竜の飼いかた教えます』(R・マッシュ、平凡社)
・『恐竜はなぜ滅んだか』(平野弘道、講談社現代新書)

など、次々と書店に並ぶようになります。

 ほかにも動きはありました。1988年11月から『週刊少年ジャンプ』で連載された岸大武郎(きし だいむろう)の『恐竜大紀行』です。全12話という短期連載でしたが、その評価は高く、これまでに3度にわたって単行本が刊行されています。

ブームの背景にあったもの

 こうした恐竜ブームの背景には、新たな化石の発見が国内で注目を集めていたこともあるようです。また、従来の化石の発掘方法以外にも最新科学を導入した研究が進み、恐竜がテレビや映画で見る怪獣とは違う、極めて進化した生物だったことがわかってきたことも理由といえます。

 そうして盛り上がっていた1993(平成5)年7月、満を持して公開されたのが『ジュラシック・パーク』だったというわけです。

 現在の『鬼滅の刃』ブーム同様に、当時の東京はどこを向いても恐竜、恐竜、恐竜といった状況。1992年2月から1993年2月まで1年間放送された東映戦隊シリーズの名前は『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で、フジテレビでは1993年5月からアニメ『ドラゴンリーグ』が放送されます。

『ドラゴンリーグ』は恐竜と人間が共存する世界を舞台にしたサッカーアニメで、Jリーグ発足で人気の高まっていたサッカーと恐竜の二大ブームを合体させた、特異な作品でした。

『ドラゴンリーグ』のビデオ(画像:キングレコード)

 親子連れを目当てにした夏の都内の展示会も、東京ドーム特設テントで『ザ・恐竜 DINO PARK』が、新高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル新高輪)で『最後の恐竜王国2』が開催されました。

 とにかく、あらゆる業界が恐竜であれば売れると次々と参入したのです。

『ジュラシック・パーク』が変えた恐竜イメージ

 そんなブームの中、いよいよやってきた『ジュラシック・パーク』。最初の試写会は有楽町の日本劇場(現・TOHOシネマズ日劇)で、各界の人士を招いて行われ、大盛況となりました。

「なにしろ加山雄三、志村けん、蛭子能収、石ノ森章太郎など、脈絡のない各界の有名人の姿も多く、映画界の枠を越えて盛り上がっているようである」(『週刊SPA!』1993年7月7日号)

『ジュラシック・パーク』は、日本において恐竜の認識を大きく転換させました。

 この頃まで、日本人は恐竜がゴジラのように鈍重に動くと誤解していました。ところが最新の学説なども参考とした同作では、恐竜がとにかく機敏に動きます。この影響で、尻尾を引きずりながら進む恐竜の旧来イメージは、図鑑などから完全に姿を消していったのです。

近年の恐竜のイメージ(画像:ON-ART)



 最近の図鑑を見ると、恐竜の皮膚の色に関する研究が進んだり、体毛があったという仮説が提唱されたりしており、その姿形は30年前と異なりつつあります。

 そうした情報の更新があるとはいえ、常に定番コンテンツであり続ける恐竜。その強さに改めて魅了されてしまうのは、筆者だけではないはず。恐竜と同じように『鬼滅の刃』も定番化することを願っています。

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